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狂牛病(BSE)情報656 COP15に向けて 食肉大量生産を止めよう [平成阿房伝]

11月1日(日)09  Tristram Stuart THE TIMES
  


    ブリュッセルの残飯廃棄を終わらせ、肉食欲を減らすべきである


 テスコ(Tesco)は肉製品に炭素表示をするという。牛肉やチーズは、レンズ豆やチキンのような代替物に比べて炭素放出量でいえばとんでもないコストがかかるものである。テスコは大衆にものを売る方法を心得ているといえよう-気候 変化 食習慣を変える-粗末な身なりの環境主義者でいるよりもましな消費者に・・・。
 肉の消費についてのブレントフォード(Brentford)在住のロード・スターン(Lord Stern)のコメントに対する激しい応酬は、彼(スターン)が全ての人々にソヴィエト的な厳格な菜食主義を押しつけていると多くの人たちが受け取っていると思ったからである。そうではない。彼が2006年のスターン報告(Stern report)を発表して以来、単に繰り返し指摘してきたことである。つまり、地球に大破滅をもたらす地球温暖化を待っているより、気候変動のことを今訴えることの方が遙かにコストがかからないし有益であるということ。
 レポートが食糧生産に言及するのは、ロード・スターンが人々の選択による真実の対価を必ず払わなければならないということである。先ず熱帯雨林を護ることだ。熱帯雨林は動植物の無数の価値ある生息地となる。そして放出されるとすべてに危害を及ぼす何十億トンもの炭素を貯蔵してくれる。高まり続ける地球規模の肉や乳牛製品の需要に応えて大豆や草地を作り続けると、毎年何百万ヘクタールもの森が消えていく。
 山林伐採や森林破壊は毎年、190兆円から500兆円が世界の経済から失われていく。しかし誰もその付を払っていない。この代価は現実で常に高くなっていくにもかかわらず、この世の経済活動には、破壊に対する責任の付けをまわすメカニズムがないのである。
 彼の見解は、これら破壊のコストに具体的な値段を付けなければならないということだ。つまり、もっとも公害をもたらすものを買いたい者は買えばよい、が、それに伴う対価を支払わなければならないということ。その勘定を我々に回すこと、他の者(子孫を含めて)が払うと期待することは不公平である、と。
 気候を護るために菜食主義を推し進めることは、戦術的な間違いである。肉食の多数派の人々にとって地球を護るということとは掛け離れている認識ということ、さらにいえば、決して必要ではないということだ。Vで始まる言葉がつくられたのは1840年代で、純粋な食べ物を求める人たちと肉類を中心とする多数派の境界をはっきりするためであった。社会は彼ら菜食主義者(V-word)をサンダルを履いた気むずかし屋という色眼鏡でもって応えた、そして彼らが言っていることのほとんどを無視してきた。
 この2、3年の間にその姿勢の転換がみられるようになった。国連の気候変動に関する政府間レベルの公開討論の議長であったRjendra Pchaunriは昨年、肉類の削減は簡単で速やかな炭素放出の減少をもっとも期待できる魅力的なチャンスであるといった。Jonathon Porritt(未来のための討論会を主催)は彼の名刺に「肉を少なく」というキャンペーンをしてきた。Nicholas Sternもこの運動に参加した。
 この決断は近代の肉生産の山積している有害な影響に対して大きく応えることができる。2006年国連は、家畜部門がメタンの放出、化石燃料使用、窒素肥料の使用や山林破壊による有毒な組み合わせで全温室効果ガス放出の18パーセントを占めているという結論を出した。
 世界の穀物の約40パーセントが世界でもっとも金持ちの消費者の満足のためだけに家畜の餌となっている。生産者自身、充分な食料を得られない人々が世界で10億人もいるとすれば、このことは強欲以外なにものでもない。
 小麦、米やトウモロコシの7億トンかそこらが家畜類の飼料となる。その飼料のカロリーベースでわずか3分の1が肉や乳牛製品になるだけである。残りは動物によって糞便、熱や食べられないものになってしまう。
 アメリカでは、家畜は消費した食糧のわずか20パーセントを戻す。つくられた肉や乳製品の約3分の1が廃棄され、結果、収穫されたあろうはずのカロリーのたった13パーセントしか実際には人間に還元されない。
 また浪費の目安は肉生産による水の使用料にも反映される。小麦1㎏生産するのに500から4,000リッターの水が必要である。そして1㎏の肉を生産するのに5,000から100,000リッターの水が必要である。その一方で水不足は、アジアやサハラ砂漠以南のアフリカ地方の人々にとって死活問題の一つである。
 家畜の飼育方法を変えることで、炭素放出を減らす大きな余地が生まれる。人類が最初に家畜類を飼い慣らしたとき、それが食糧供給に結びつくと思ったからである。ヒツジや牛は人間にとって役に立たない草や灌木を食み、そして豚や鳥は残り物を餌とする。
 家畜が莫大な量の穀物を消費するようになったのは、この20年である。
 この工業化された社会でも、過度な飼料集中に頼らずにいままで通りに肉がつくられている。それはイギリスの農場で、丘陵のヒツジ飼育に広大な牧草地をつかっている。
 上のような十分な食肉供給の妨げとなるのは、EUの家畜の残飯飼育禁止措置である。2001年口蹄疫が発生して以来、豚に残飯を与えることは違法なのである
 国連はそれを計算した。もし家畜を残飯や農作物の残滓で飼育すれば、さらに30億人の人を養うことができる。捨てられる食料で豚を飼育すれば、今まで通りの飼育をしないことで、何百万トンもの炭素排出を抑えることができる。
 Lord Sternは果敢にもこの劇的な変換に立ち向かう。もし地球が壊滅的な気候変動を避けうるとすれば、彼の考え方を受け入れざるを得ない。
 金持ちの国が酒池肉林の甘受をすぐに止めると期待することはできない。だがしかし、この地球の環境に取り返しのつかない影響を与えずに、欲しいだけの肉の生産ができる現実があるのだろうか。

ひとこと:傾聴に値する箴言である。無理を言っているのではなく、道理を言っているのである。食肉の大量生産方式を改めることが不可欠である。
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