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石のつぶやき170 相撲はそんなに美しいのか? [平成阿房伝]

7月2日(金)10  ゲンダイネット


相撲記者は「角界汚染」の共犯者ではないのか

●100年前から力士にベッタリ テレビ・新聞が連日、大相撲の賭博問題を取り上げている。「ウミを出せ」「反社会的勢力との関係を断ち切れ」――などと鬼の首を取ったような報道だが、ちょっと待ってほしい。場所開催中はもちろん、力士と協会の「御用記者」になり、賭博問題を見て見ぬフリをしてきたのはメディアだったのではないか。 相撲界に詳しいジャーナリストの武田より政氏はこう言う。

「昔は地方巡業の期間が長く、ヒマを持て余していた。例えば、長崎・五島列島の巡業は、一島ずつ回るため、やることもないフェリーの中に長時間いなければならない。それでいて、巡業先では大金が懐に入ってくる。やることは決まってるでしょう」

 ちばてつや氏の相撲マンガ「のたり松太郎」には、力士と記者が博打に興じる場面が出てくる。マンガと言ってしまえばそれまでだが、相撲取りの賭博はネタにされるほど“日常的”な風景だったのだ。力士を四六時中、取材している相撲記者クラブの連中がこうした状況を知らないはずがないだろう

「メディアは『角界汚染』と大騒ぎだが、あまりに白々しい。力士らを取材している相撲記者クラブは、日本の記者クラブの中で最も歴史が古い。旧両国国技館が開館した1909年発足というから、記者たちは100年間も大相撲を取材してきた。メディアが“本来”の役目を果たしていれば、これほど角界がダメになることもなかったのです」(大相撲事情通)

 メディアの相撲取材も改革が必要だ。

ふたこと:博打が日常的なのは当たり前の姿であったはずだ。何をいまさらと思う。アホがいなければ博打は昔のまま続くはずであって何の疑問もない。何でこんなことになったのか、それが不思議でならないのだ。反社会的勢力というような訳の分からない言葉が先行し、本当は何なのかがわからない。要するに野球賭博がやくざの収入源になっているという話なのらしい。いままでやっていたことが何でダメだ、ということが理解できない相撲協会。何で、何で、という根元的な問いは賭博が悪いというのではなくそこまでしなくてはならないのかという身勝手の表現である。それほど博打は相撲業界では当たり前であった。わたしはそれも相撲のうちと思う。博打が蔓延しているのが相撲なのである。ご託を述べるのは休み休みにして欲しい。
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