SSブログ

石のつぶやき177 死刑制度を当然とするマスコミはおかしい [平成阿房伝]

7月29日(木)10  読売新聞


死刑執行 やっと法相の責任を果たした

 民主党政権になってから初めて、2人に死刑が執行された。昨年7月に3人の執行があって以来1年ぶりになる。

 千葉法相はかつて「死刑廃止を推進する議員連盟」のメンバーだった。昨年9月の就任以降、死刑執行に対する法相としての姿勢を明確にしないまま執行ゼロの状態が続いていた。この結果、死刑確定者は109人と、過去最高の水準にまで増えていた

 刑事訴訟法は、死刑確定から6か月以内に刑を執行しなければならないと定めている。法相の考え方や信条によって、執行のペースが左右されるとすれば、法治国家として異常な事態である。 先の参院選で落選した千葉法相が、民間人として続投することには批判も出ていた。この時期、突然の執行に踏み切った真意をいぶかる声もあるが、法に基づく執行は、法相として当然の責務だ。

 内閣府が今年2月に公表した世論調査では、死刑容認派が過去最高の85・6%を占めた。被害者や遺族の感情に配慮する意見や、凶悪犯罪の抑止力になることを期待する意見が多かった。

 世界的には欧州を中心に、死刑を廃止か停止している国の方が維持している国よりも多い。だが日本では、国民の大多数が死刑を容認している現実を踏まえ、その声を尊重する必要があろう。
 法相は自ら希望して、拘置所で2人の刑の執行に立ち会った。記者会見では「見届ける責任があると思った」と述べた。法務行政の最高責任者が執行に立ち会うのは、初めてのことだという。

 法相はまた、死刑制度のあり方について、省内で本格的な議論を始める方針を明らかにした。

 昨年から裁判員裁判が始まっており、いずれ裁判員が裁判で死刑の選択を迫られる日も来る。

 国民が責任の一端を担う以上、死刑制度の議論を深めること自体には意味があろう。だが、最初から廃止や停止の結論ありきでは、国民の理解は得られまい。

 死刑に関する情報の公開も欠かせない。法相が東京拘置所の刑場を報道陣に公開する方針を示したことは前進と言える。

 これまで法務省は、死刑について徹底した「秘密主義」を貫いてきた。執行した死刑囚の氏名まで公表するようになったのは2007年以降である。

 刑場の構造、執行の方法、死刑囚の生活――。そういった情報が提供されることが、国民一人ひとりが死刑制度を考えるきっかけになるだろう。

ふたこと:死刑があって当然というマスメディアのこの感覚は異常だ。85パーセント以上の国民が死刑を容認するとすれば、それがおかしいというのがメディアの使命であろう。「日本は法治国家ですからね。近代刑法にのっとって、裁判が行われ、告発され、死刑という刑が科せられるわけだけれども、昔はね、あだ討ちだったんですよ。あだ討ちというものを禁止するために刑法が発足してね。まあ、日本もそれをアダプト(採用)して今日に至ってるわけですけれども。つまり法律の体系の中で、あだ討ちを禁止して構えられた刑の執行というものがある限り、私は、死刑は仕方がないと思いますね」  この耄碌爺は、武士の世界をいっているだけで百姓以下の身分は切り捨て御免だったという事実さえ認めようとしない。死刑を容認する世論は、マスコミが煽っているのでは無かろうか?裁判員制度は死刑を前提にしないと成り立たない。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。