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石のつぶやき238 魔女狩り [平成阿房伝]

2月1日(火)11



      検察審査会の強制起訴は、魔女狩りである

 哀れ、日本国民は魑魅魍魎に毒気をあてられ魂を吸い取られてしまった。もともとあったのかなかったのか、たまというものが・・・。タマなきおとどの蝟集、タマあるもののふ嫌う。

 検察審議会による小沢氏強制起訴は、「小沢殺し」の総決算である。一人の政治家対エスタブリッシュメントの構図は、きわめて異常といわざるを得ない。お人好しの日本国民は、「政治と金」というお題目に眩惑され、エスタブリッシュメントの餌食となった。これほど民主主義と称するものの幼稚さを示すものは、世界に例をみない。
 史上最強の東京地検特捜部が5年以上に渡り、小沢立件を血眼に求めた結果が不起訴であった。それも軽微な政治資金規正法でだ。「悪法も法なり」が法治国家(民主主義)の原則なのである。その法律が不都合であれば国会で法改正をすればよいことである。企業献金を禁止すればよいことである。ところがエスタブリッシュメントに都合の悪いことは、ザル法のまま放置されるのである。その不作為を日本国民は、問題にすべきなのである。

 史上最強の東京地検特捜部が起訴できなかった、つまり無罪の認定である。それをおかしいとか、限りなく黒に近いとか軽々しく論議すべきではないだろう。おかしいのは政治資金規正法なのだ。それが東京第五検察審査会での市民の「起訴議決」。これは東京地検特捜部が否定されたということである。特命をもった東京地検特捜部が起訴できなかった小沢氏を強制起訴したのであるから、東京第五検察審査会の判断が最高の権力行使となる。変である。

 「被告」と証拠は同じでありながら、片方は不起訴、もう片方は起訴。それも「市民の目線」だと煽る。「土地購入と同時期に小沢氏が銀行から融資を受けた別の4億円を陸山会に転貸したことを『本来の原資を隠す偽装工作』とし、融資書類に小沢氏が署名していた事実も重視した。」小沢氏の関与否定を「著しく不合理で信用できない」として「公正な法廷で黒白をつけるのが検察審査会の制度」という。すばらしい「市民の目線」である。なら地検特捜部は必要ないことになる。

最近あった検察審議会の起訴議決は、登場人物が異なるのである。新しい登場人物に罪が認められるかどうかが焦点になっている。今回の場合、役者(登場人物)と道具(証拠)が同じで、脚本家兼演出家(検察)が降板してしまった。「市民の目線」の脚本家兼演出家の登場となった。プロの検察官で立件できなかったものが、被告を弁護する弁護人が検察官の役割をするという滑稽な裁判で「白が黒になる」のであれば、東京地検特捜部はおろか裁判すら無意味ということになる。これはもう法曹の危機以外なにものでもない。

 「市民の目線」、「政治と金」というタグのオンパレード。「赤信号・・・・・」の類である。その陰でしたり顔でほくそ笑む仮面をかぶったエスタブリッシュメント。

 魔女狩りは、このようにして行われるのである。

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