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石のつぶやき467 政党の役割、政策を問うこと [平成阿房伝]

6月27日(水)晴  12

政党とは

なぜ、ルールが必要なのでしょう
  ひとりの人間が、わたしはこう思ったから私の思い通りに行動しますと言ってその通り行動したとしよう。その行動が誰の迷惑にもならなかったら、なんの問題もない。ところが彼、あるいは彼女の行為が、他人の生命や財産を奪うことをともなうとすれば、それは許されない。彼らが住んでいる日本では、法律によってそれは禁止されている。それが国家としての基本的なルールなのである。国家はそこに住む住民にこういうことをするという明快な了解によって成立する。それが憲法であり様々な法律がそれを保障するのである。そして憲法や他の法律は、そこに住む国民の総意によってつくられる。それが民主主義というものの、これまで人類が勝ち得た一番進んだルールである。


それを認めない人もいる
  いろいろな考え方があってもよい。それが民主主義のルールである。言論の自由があるから何を言ってもよいかと問えば、そのことが人の人権や人の尊厳を貶めることになる結果になることが明々白々であれば、それは言ってはならないことなのである。そのことを国家が見て見ぬふりをしているとしたら、それは当たり前の国家ではない。

いろいろな考え方がある
いろいろな考え方がある。その考え方の中でどれがその国家で一番相応しいかを決めるのが国会である。その国に住んでいる住民が全て集まって、自分たちにとって一番よい方向を決めることが重要なことである。そうしなければならないが、現実的に不可能である。だから国民が選んだ国会議員に国の方向の決定を委託するのが代議制民主主義なのである。 考え方の違いで離合集散するのが政党である。


政党の役割
 政党は国民の望む国の方向性、それにどれだけの税金が必要かを、国民に明らかにして国会議員を募る。簡単に言えば政党の政策を選挙民に約束するのである。それによって国会で多数を得れば、その政策が国の方針となって実施されるのである。


政党が国民に示した政策を反故にしたら
 あってはならないことである。なぜなら国民は政党を選ぶのに、その政党が何をするか、政策によって選ぶしかないのである。それほど政党の政策、選挙民との約束(マニフェスト)は重いのである。 政党はそれを蔑ろにすることはできない。もし政策を反故にする政党があったとすれば、それは政党の存在たる所以を放棄したもので、その政党を選んだ選挙民への最大の裏切りである。こんなことはあり得ないことなのです。


政党が公約した政策(マニフェスト)を万一選挙民のために変更するなら
 選挙民の委託を受けた政権政党は、変更したい政策をこうしたい、新しい政策を選挙民に提示して、それを問うて選挙の洗礼を受けるのが当たり前の代議制民主主義である。


談合して国民の最重要課題を勝手に決めてしまった
 国民に委託された、消費税増税は政権の間はしないという根幹の政策をどうしても変更しなければならないことが出来すれば、そのことを丁寧に説明して国民に問わねばならない。これがルールである。それ以外何をほざいても、日本が法治国家であり民主主義を標榜するなら、絶対にあり得ないことなのである。


自民党のやりたい放題を容認することまでして消費税増税に邁進した野田政権
 どう考えてもわからないのは、野田は民主党のマニフェストを反故にしてまで消費税増税だけに血道を上げたのかである。どういう洗脳であのようになるのか、これが未だに理解しがたい。菅も首相になった早々、唐突に消費税増税を言い出した。このマジックは一体何なのだろう。そこまで日本の官僚は、怖ろしい存在なのか。


かくして日本のわずか62年の民主主義は、瓦解してしまった なんの努力も、犠牲もなく、敗戦によってアメリカに与えられた民主主義は、結局日本に根付かなかった。その悲しさを追認する作業にはいるのか、それとも日本の民主主義はもっと強固なものであることを証明する作業にはいるのか、今それが問われている。
 日本人であってよかったという国にするしかないのである。
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