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石のつぶやき500 89年前になる関東大震災 [平成阿房伝]

9月1日(土)12


          震災忌 関東大震災



 前略
 それまでの史上最大の被害によって震災記念日、略して震災忌とされたのは、大正12(1923)年9月1日午前11時58分、神奈川県中部から相模灘東部、房総半島南端を震源域として発生した、マグニチュード7.9の大地震、名づけて関東大震災である。死者・行方不明者の合計10万5千人余、家屋全壊10万9千棟余、半壊10万2千棟余、消失21万2千棟余を数える未曾有の惨状を伝えるものに、(明治10~昭和42){1877~1967})の第10歌集「鏡葉」所収の歌群がある。
    9月1日の大震災に、我が
    家は幸にも被害をまぬかれ
    ぬ。あやぶまるる人は数多
あれども、訪ひぬべきよす
    がもなし。2日、震動のお
    とろえしをたのみて、先ず
    神田猿楽町なる甥の家あと
    を見んものとゆく。
地はすべて赤き熾火なりこの下
に甥のありとも我がいかにせむ
  焼け残り赤き火燃ゆる神保町三
  崎町ゆけど人ひとり見ず。
大東京もゆるけむりの雲と凝り
空にはびこりて三日をくづれず
妻も子も死ねり死ねりとひとり
  ごち火を吐く橋板踏みて男ゆく
  あふ向きて浮ぶは男うつ伏して
  しずむは女小きはその子か
死ねる子を親の棄てたりみ濠ば
  た柳青くしてすずしきところ
  鉄橋のやけとろけたり水にうか
  ぶ一人一人嘆かずあらむ



古井戸の芯真暗に震災忌(美佐子)
 古井戸の句は震災後の9月16
日、東京憲兵隊麹町分隊長甘糟正
彦らが無政府主義者大杉栄・妻伊
藤野枝・七歳の甥橘宗一を連行・
絞首、死骸を憲兵隊本部校内の古
井戸に棄て埋めさせた忌まわしい
記憶を思いおこさせる。

略 
(2012年9月1日朝日新聞be
高橋睦郎 季をひろう)より


ふたこと:この大震災で、朝鮮半島から来た人たちが数多殺されたという。
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