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石のつぶやき552 (反原発) デモとは民意を可視化するメディアである(小熊英二) [平成阿房伝]

10月25日(木)12  朝日新聞朝刊


       あすを探る 思想・歴史 小熊 英二

     ネズミの群れとは滅びる恐竜

静岡県議会で原発再稼働の是非を問う住民投票条例案が否決された。電力労組の圧力に屈した議員が複数いたという(本紙10月12日付朝刊)。
 電力総連の静岡県内の基礎票は、5千から7千だと報じられている。住民投票請求の署名は16万5千が集まっていた。何故16万5千より5千の方が重んじられるのか。
 議員の考えは恐らくこうだ。16万5千は単なる数字で、具体的には目に見えない。電力労組などの圧力団体は、ポスターを貼る選挙要員の確保など、目に見える応援をしてくれる。その要員が議員1人当たり10人でも、自分に投票するかわからい16万5千より頼りになると。
 しかし一方で、圧力団体の弱体化は著しい。無党派層が増大し、労組・商工会・土建業者などの組織を固める旧来の選挙戦術が通用しなくなってきたことは、議員なら誰でも知っている。にもかかわらず、なぜいまだに圧力団体が力を持つのか。
 その一因は相対的浮上である。電力労組それ自体は、過去より強くなっていない。国労や全逓など他の労組が民営化や自由化で低落したため、相対的に浮上した「最後の非自由化部門労組」なのだ。強いとはいえ、滅びゆく恐竜の強さである。
 地方における原発依存も、経済界の原発重視も同様だ。全体が沈むなかで「最後の補助金誘致手段」「最後の重厚長大型産業」として相対的に浮上したのである。東京大学の原子力工学科は10年以上前に廃止され、造船や鉱山の学科などと合併されている。それが重化学工業や鉄鋼といった40年前の主力産業が中核の経団連幹部に指示されている様子はまさに恐竜と呼ぶにふさわしい
 こうした強さを増幅しているのが「恐竜は強い」という固定観念だ。議会や官庁や大手マスコミは、日本社会の古い安定部分であり、認識を変えられない人間が数多くいる。彼らには派閥や大手労組や経団連といった旧セクターの動向が実態以上に大きく映る。一方で、増大している無党派層は目に見えない。さすがに「最近は何か違うようだ」と感じてはいても、自己変革する力もなく、昨日と同じ手法をくりかえす
 こうしたあり方は、日本社会の縮図である。バブル期以前に人格形成し、古い人脈やノウハウにしがみつく人々が、なぜか力を持っている。つかみどころのない新動向に対応できず、縮んでいく一方の旧部門ばかりを重視する。その状態を維持するため負債がかさみ、次代を育成する余裕もなく、全体が沈んでいく。閉塞感も高まるのも無理はない。
 転換の長期的・総合的展望については別の機会に譲るが、事態を変える方法のヒントを示したのが、今夏の官邸前デモである。このデモが政治に影響を与え、まがりなりにも原発政策を変える力になったことは、恐らくデモ参加者以上に、原発推進側の人々がよく知っているはずだ。
 脱原発デモは昨年から数多く行われていたが、政治家やマスコミの目に入っていなかった。今夏になっていきなりデモが出現したと思った者もいたようだ。そんな彼らにさえ、官邸前デモが影響を与えたのは、「議員会館や記者会館の目の前に出てきた」という、ある意味で単純な理由からである。彼らにとって、圧力団体は目に見えていたが、目の前に見えない無党派層の民意は、世論調査の数字でしかなかった、 デモとは民意を可視化するメディアである。人々の怒りが眼前に可視化されて初めて、彼らは影響されるのだ
 ならばもっと可視化し、もっと眼前に現れればいい。手段はデモだけではない。例えば、議員事務所に「脱原発に本気に取り組むなら選挙を手伝う」という人が20人も現れたら電力労組の圧力など効かなくなる
 恐竜が気候変動に適応できずに滅びたとき、次の時代の主人公になったのは、ネズミなどの小さなほ乳類たちだった。ネズミの群れが眼前に現れるとき、恐竜は滅びる。
 (おぐま・えいじ 62年生まれ。慶応大学教授・歴史社会学。『社会を変えるには』『1968』など)
 
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