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石のつぶやき610 夫婦別姓は自然の流れ、男尊女卑の根源 [平成阿房伝]

2月16日(土)13 時事通信


夫婦別姓、賛否が拮抗=容認論は減少傾向―内閣府調査



 内閣府は16日、昨年12月に実施した「家族の法制に関する世論調査」の結果を発表した。それによると、選択的夫婦別姓制度の導入について、「法律を改正しても構わない」と容認する意見が35.5%、「改正の必要はない」との反対意見が36.4%で拮抗(きっこう)。容認論は2006年の前回、今回と2回続けて減少し、導入への機運が高まっていない現状が示された。

 選択的夫婦別姓は、法制審議会が1996年に答申した民法改正案要綱に盛り込まれた。その後、自民党、民主党のいずれの政権でも改正を模索する動きはあったものの、反対意見も根強く、法案提出には至らなかった。容認は01年の前々回調査では42.1%で、反対の29.9%を大きく上回っていたが、06年の前回は容認36.6%、反対35.0%とほぼ肩を並べ、今回は逆転した。
 別姓制度を容認すると答えた人のうち、自らが別姓を「希望する」としたのは23.5%にとどまり、「希望しない」は49.0%だった。 


ふたこと:婚姻届は、どちらかの姓を名乗ることを前提としている。一見同等と見なされるが、たいていは男の姓を名乗ることが当然としてある、これはおかしいのである。女性が結婚することで姓が変わるということは、女性にとって過大な精神的苦痛をともなう。今の今まで生きてきたおのれの存在そのものが消失するのである。つまり、アイデンティティが消滅するのだ。それを無視しているのが、婚姻届だ。何となく男の姓にするのは、「家」制度の現実なのである。侍の発想なのだ。ちょっと昔の庶民百姓には、姓はなかった。明治以来、姓を得ることになったものは、これを後生大事にする。単にこれだけの話だ。男優位の、あり得ない神話をつくってきたのが、結婚すれば男の姓を名乗ることである。侍のあこがれが「家」という幻想を生みだしてきたのである。だから女は男に差別される。アホな男をつくってしもうた。
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