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石のつぶやき1086 キノコは例年より、ましか [平成阿房伝]

11月6日(日)16    キノコ雑感

9月28日(金)晴
 暑い、Tシャツで回る。小さいのが2本程度。イグチがよくでている。アカヤマドリを初めて見る。大きい。多分そうだろうと持って帰ったが、傘の表面がじくじくしているので食べる勇気は無かった。あとはしっかりしていた。あとで思えばその後お目にかかれぬものだけに惜しいことをした。食べておくべきだった。山はまだ夏の終わり、秋にはほど遠いとあとで分かる。
アミタケ少々。

記録しなかったので正確さは欠くが、思い出したことを留めておく。
 10月初めから中旬にかけてほとんど出なかった。マツタケはまともなのは2本ぐらい。9月の終わりに出る親指ほどの小さなものが出ない。ハツタケがちょこちょこ出ている。不思議なことにキシメジが何本か出ている、これは終わりの方である。
10月20日頃になって出だした。4,5本固まって出る。このことは珍しいことだ。

11月になっても、マツタケは出ている。イノシシが荒らしたあとをよく見ると一本残っている。11月4日になってキシメジが出てくる。山は終わりの態勢となった。後シロシメジが出てくるか、近頃ほんの少ししか見かけない。これでも今年は最近の例外で、マツタケもアミタケも豊作であったと言える。ここ何年来、マツタケが採れたという実感がない。夏の終わりのキノコの出具合で一喜一憂。結局だめであったのだ。ところが今年は少しだけ違った。目立ったのはキツネタケ、キイボガサタケ、タマシロオニタケ。
ナラ類の立ち枯れが目に付く。
 
週3日以上、山に入っている。体もずいぶん慣れたが、やはりつらい。6時間歩くと限界となる。何も考えずひたすら斜面を上下する。平坦な道というのは、心臓に負担がかからない、ということをはっきり感受する。急激な斜面を上り下りすると、心肺は物申すことをつくづく実感する。何も考えることはない、無の境地と言いたいところが、雑念だけは去来する。俗物であることを認識する。

 豊洲市場
豊洲市場がもう話題にもならなくなったので一言いっておきたい。「盛り土」は端からしなかった。石原慎太郎が言っているように箱形のコンクリートを積み重ねるということは、建物のしたにそのような空間を作ることである。つまり都庁の役人は地下を作れと解釈したのだ。だから安くつくと慎太郎は言った。4.5メートルを掘り下げ、そこに建物を建てただけである。そしてもとの土を建物以外に戻した。だから地下水の汚染状況の把握が必要ということになる。都民を欺いたのは、このことを絶対に隠蔽する至上命令からである。そこには莫大な金の流れがあったからである。


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