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伝念入院記16 6回目入院 2020年8月 [伝念入院記]

2020年8月 危険な暑さの中 6回目の入院
 あまり詰まらなかった朝食がよく引っ掛かるようになり、詰まり気味になりながら仕事を7月いっぱいで終えた。最後の送別会のときも詰まって食べられなかった。それでも何とか通っていた。が、詰まってしまった。2年ぶりか。


8月18日(火)晴
8/17 16時かみさんと病棟で別れる。付き添いは病棟には入れない。コロナ対策である。しかし病院に入って病棟まで何ら支障もなく入れるのだ。案内された部屋は大部屋ではなく、7,700円の個室である。通常料金3万円かなにがしである。看護師が大部屋しか空いていないと言い訳していたが、個室しか用意されていなかった。空けば大部屋に移すといっていた。今のコロナをとりまく状況から判断すれば明らかである。緊急入院する患者を大部屋に入れてその患者がコロナに感染していれば、その部屋の患者全員がコロナに感染してしまう。それを防ぐためには緊急入院する患者を隔離しておく必要があろう。ここまで書いたところで看護師たちが入ってきた。11時前だ。検温、血圧測定、酸素濃度のルーティンである。今の疑問を彼らに投げかけた。するとひとりの看護師は言う。コロナ対策ではなかった。実際大部屋が空いてなかったのだと・・・。空けば移って貰うと宣う。去年のコロナ対応はこの程度だったのだろう。
 今日とりあえず内視鏡検査の空きができ次第、呼び出すという。それで詰まったものを内視鏡をみながら取り出すという。この領域はなぜか消化器内科らしい。そこの医師S氏が来て説明する。内容結果に署名を求められる。消化器外科では医師が同列にサインする箇所があったが消化器内科では医師の署名する箇所がない。医師がS氏であるか確認しようとしたので気付いた。
 11時半頃内視鏡室に呼び出される。最初標準のスコープで試みるがいつも通り入らない。細いスコープを挿入して詰まったところに到達するも詰まったものがなかなか取れない。何回も出し入れしてやっと通るようになった。原因物は白菜ということだった。通っても夕食はなかった。
 主治医が19時5分頃来て曰く、明日以降細くなっているところを精査して広げるかどうかも含めて考えると。  
アイスクリームとミルクコーヒーを仕入れる。病棟を出て今度入室は、インターホンで認証して貰わないとは入れない。


8月19日(水)晴
 よく眠ったのかどうか分からぬ眠り。横になっているのでうとうとしてしまう。いざ眠るとなっても深く落ちない。で、7時頃には目が覚めるがぼーっとしている。何も食べていないからか、ずっと寝ているからか、曖昧な感触である。
 8時5分頃主治医ともうひとりの医師が来て、広げるより柔らかいものを食べるようにするという。
 9時前に消化器内科(?)の昨日の医師と女医が現れる。昨日のことを話す。こちらは今までの経緯などを話す。術後こんなに長く詰まったのは初めてのことだと伝える。とりあえず謝意を伝える。
 初めての食事(夕食)。全がゆ100g、温泉玉子。
 19時35分、主治医、二人で現れる。19時55分、消化器内科医師二人来る。


8月20日(木)晴
 3時に目覚める。本を読む。
* 1977年「地鎮祭事件」(三重県津市)第一審合憲、第二審違憲、最高裁合憲(5人反対意見。)
* 1988年 「殉職自衛官合祀事件」(山口県)第一審、第二審原告勝訴、最高裁合憲(原告敗訴)
* 1997年「玉串判決」(愛媛県知事 玉串料公費支出)最高裁、違憲判決

 5時半頃看護師採血に現る。その後眠ろうとするも眠れず。
 8時10分、朝食。おもゆ100g、卵とじ、濃厚プディン、牛乳。
 9時過ぎレントゲン科より連絡。主治医ともう一人の医師が待っていた。レントゲン透視。結果は良好。広げなくても何とか現状でよいのではと云う。食事は段階をふんで次は三分粥になる。週明けに退院か?
 病室に戻ると部屋の移動。一番端の初めての部屋であった。並びは同じ。
 栄養士とか、また主治医が食事について念押しされる。3人ほどの医者が来る。3人ほど医師らしいのがやってくる。消化器内科か?
 12:10 昼食。おもゆ100g、豆腐、プリン、カゴメビフィディス菌。一気に食べると腹が張り、朝に続いて下痢。
 体拭き、それに着替え。
 13::00からテレビを観る。昨日は「戦場のピアニスト」、今日は「ガス灯」前者はポランスキー。久しぶりに映画を堪能する。
 18:10夕食。おもゆ100g、里芋汁、これは1度に食べても膨満感はない丁度収まりがよい。
 田んぼを貸しているT氏からメール。来年9月で終了とのこと、そんな気がしていた。
 21時半頃メールが入る。念のためチェックする。かみさんからだ。クルマのエンジンがかからないという。懸念していたことが起こった。この前タバコを仕入れるのにかみさんのクルマを借りた。そのときバッテリーが消耗していることに気がつき、6時間ほど充電しておいたのだが不十分だったのだ。そのうち満充電しようと思っていたのだった。明日仕事だというので、クルマ屋の友人に電話して、時間に間に合うようにして欲しいと依頼する。バッテリーを新しく交換してくれるだろう。


8月21日(金)晴
 7時半頃メールが入る、クルマが動くようになった。
 8時過ぎ朝食。三分粥100g、フルーツ(ナシ?)、濃流ゼリーコーヒー、牛乳、梅び塩、塩パック。全部平らげる。(牛乳以外)腹が張る、2回目のトイレ。
 新聞とミルクティーを仕入れる。昼食前にトイレ。
 12時過ぎに昼食。三分粥100g、煮物、煮浸し、小田巻蒸し、飲むヨーグルト、ミルクプリン、タイ味噌、塩パック。量多いかと思ったが意外と治まった。すぐ下痢とはならなかった。
 映画は渡哲也追悼「愛と死の記録」日活の売れない路線。蔵原惟繕監督の作品。吉永小百合が出ていた。
 18時過ぎ夕食。三分粥100g、湯豆腐、サツマイモレモン煮、酢醤油和え、のり佃煮、塩パック。全部食べる。食べている最中、主治医人で現れる。月曜日退院を希望する。20時前に内科(?)3人来る。


8月22日(土)晴
 あまり眠れず。土曜日であることを失念していた。映画もなく、観るべきテレビもない。新聞を買ってテレビ欄を確認。
 8時過ぎ朝食。五分粥100g、煮物(海老とキャベツ)フルーツ(桃)オレンジアガカリー(?)、鯛味噌、塩、牛乳。
 下痢にはならず。食事中、主治医を含めて3人来る。2週間後来院のこと。新聞を読みながらだらだら過ごす。「オブセッション」の意味が出てこない。やっと出てきた、『強迫観念』。時間が経てば思い出せない、それを繰り返す。他のことばでもそうなんだろうが特にオブセッションに関しては憶えておかねばと云う強迫観念で以て憶えたはずのものがすっかり記憶から抜け落ちてしまうのだ。
 12時過ぎ昼食。五分粥100g、甘鯛ちり蒸し、とじ煮(ブロッコリー)、ジョア、ココアワッフル、梅びしお、。塩
 少し詰まり気味となる。ネギとホウレンソウが引っ掛かる。腹が少し張る。20分後トイレ、少し出る。
 頭を洗って貰う。シャワーは面倒だ。結局一度も使っていない。体を拭いたのは1回のみ。シーツ交換は一度もなし。
 18時20分を過ぎて夕食。五分粥100g、オムレツ(+人参の甘煮)、サラダ、すまし汁、塩パック。全部平らげる。それほど張った感じはしなかった。今日は小便がよく出る。体重を量る、38.4kg、増えていない。


8月2日(日)晴
 昨晩は雷雨。大したことはなかったとかみさん。相変わらず眠れず。1時間毎に小水を足しに行く。
 8時過ぎ朝食。パン60g、煮浸し添え(サンド豆?)、フルーツ、ひじきお米せん、牛乳。
 何気なくパンを食べていると引っ掛かった。なかなか抜けなかった。牛乳は役に立たない。何とか通してほとんど食べる。
 10時頃、新聞、飲み物、アイスクリームを仕入れてくる。アイスクリームを食べていると主治医現れる。明日の退院と通院日の確認。アイスクリームを食べて1時間後、下痢。大量に放出。
 12時頃昼食。七分がゆ150g、煮物(人参と里芋)酢の物(春雨と海老)梅干し、塩パック、原宿ドッグ、マウボ豆腐。少し残す。
 18:20夕食。七分粥150g、海老そぼろ煮、照り焼き、胡麻和え、のりたま、飲むヨーグルト、塩パック。全部食べる。少し引っ掛かったものの大丈夫だった。腹が少し張り少し大便が出る。
 
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