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石のつぶやき738 安倍の伊勢遷御参列は国体護持 [平成阿房伝]

10月23日(水)朝日新聞夕刊
 伊勢神宮(三重県伊勢市)の20年に1度の式年遷宮で、安倍晋三首相や閣僚が2日、内宮の「遷御の儀」に参列した。憲法の「政教分離の原則」に反するのでは、と批判があがる。宗教法学と近代史の識者にそれぞれ聞いた。

 伊勢「遷御の儀」  首相参列の意味

 政教分離骨抜きになる不安 平野武(宗教法学)

 戦前の国家神道のもと、すべての神社は超越した存在として国家の祭祀(さいし)をつかさどる場所だった。なかでも皇祖神をまつる伊勢神宮は本宗(仏教でいう本山)とされた。天皇の国家統治の基礎であり国家神道の中心的存在だった。国体に反するキリスト教徒らは激しく弾圧された。
 この国家神道の否定から戦後の政教分離がある伊勢神宮は特別な存在であるということを否定し、一宗教法人でしかない。これが現憲法の考え方だ。それは人間の精神を形成する宗教に政治が立ち入らないことで信仰を守り、宗教の違いを認め合う。宗教に対する国家の中立、公平性が宗教の平等を保っている。
 今回の首相の参列は、伊勢神宮は特別な存在であり、ほかの宗教施設とは別格というメッセージを伝え、一宗教法人に肩入れした。この行為が合憲か違憲かの基準は、1977年の津地鎮祭訴訟の大法廷判決で最高裁が示した「目的効果基準」。国家が宗教に関わることで特定の宗教が利益を受け、ほかの宗教が圧迫されないか。この基準からしても今回の参列は憲法違反だ。

一宗教法人に肩入れ違憲
 日本人の伝統的宗教観からすると、首相参列に違和感を持たない人が多数派で問題視すべきでないという意見もあろう。だからといって政教分離を緩やかに解釈し首相の違憲性に目をつむるのは危険だ。正月の参拝を問題にしないこともおかしい
 政教分離は多数者の意識で解釈されるものではない。憲法に沿って厳格に解釈すべきであり、時の為政者に左右されてはいけない。なぜなら政教分離は人権を保障し、少数派の信仰を守るものでもあるからだ。キリスト教徒やイスラム教徒、宗教になじめない人にとって、首相の参列は精神的な圧迫になる。政教分離が、骨抜きにされてしまうという不安感にもつながる。
 もちろん首相にプライベートがあり、仏壇に手を合わせ、墓参りするのは自由だ。今回の参列も「私人として」と言うが、純粋な私人とは言えない。宗教が政治に利用されないためにも私人の範囲を狭めるべきだ。


   祭祀と権力が結びつく印象         ジョン・ブリーン(近代史)

 遷宮は国を挙げての儀式で、首相の参列は当然という主張も多い。だが、遷宮は一宗教法人の最重要儀式にすぎず、国の行事ではない。首相は何を求めて参列したのか。政治と祭祀(さいし)が一体化した祭政一致の戦後版にさえ見える。
 伊勢神宮が出すメッセージを調べると、戦後4回の遷宮の性格が変化している。最初の1953年は神秘性のベールを開け、親しみやすさを出した。神という字さえ使っていない新聞もある。次の73年は神秘性を強調し、前回93年は天皇即位の直後で皇室との関わりを強めた今回、東日本大震災の復興を願い、神の若返り「常若(とこわか)」の思想を前面に出したらしい。だが、首相の参列で遷宮が権力と結びついた印象を受ける。
 背景には50年代から神社界などで盛んになった真姿顕現(しんしけんげん)運動がある。伊勢神宮の真の姿は戦前同様の国家の神社で、遷宮は天皇や国家の儀式という考え方だ。60年に池田勇人首相は、神宮でまつる神鏡は人間が作った物体ではなく、「天照大神が歴代天皇に授けたもの」と発言した。この池田声明も神道指令を否定し、明治憲法に通じる内容だ。
 そもそも明治以前の伊勢神宮は、日常の生活を豊かにしたいと願う庶民のための聖地だった。だが、1869年(明治2年)に歴代天皇で初めて明治天皇が参拝し、以降庶民信仰の場でなくなった。
 その後、明治天皇の崩御、大正天皇即位という国家儀礼が相次いだ。そこへ明治憲法下で最後の1929(昭和4)年の遷宮があり、浜口雄幸首相が供奉員として参列。遷宮は国体の根幹を示す儀式とされ、遷御の日は祝日になり、全学校で奉賀式を開いた。
 遷宮に参列した首相は浜口首相と安部首相だけ。安倍首相は外玉垣と板垣の間の参列席に着座。そこには皇族関係者も。さらに新宮に向かう列にも加わった。首相という公人だから許された。今回の参列はプライベートな信仰を超えた行為と受け取るべきで、遷宮の国家儀礼化とも理解できる。 


ふたこと:時の権力は 憲法を無視し、憲法違反をくりかえすが、最高裁は違憲の判断をしない。これが日本の戦後の「司法の形」だった。自衛隊の違憲判決ともとれる恵庭事件(えにわじけん)があった。それ以降自衛隊が違憲か合憲かを問うことはなかった。司法は権力の言うとおりの司法判断しかしなくなった。それが今でも連綿と続いている。先の参議院選挙でも一部の地裁は議員定数が違憲であると判断した。他の地裁は「違憲状態」という造語で誤魔化した。で、違憲であるかそうでないかを判断する唯一の最高裁は「違憲状態」とした。またしても権力におもねる司法の悲惨な姿を再現したに過ぎない。  安倍は、日本の首相として浜口雄幸に並ぼうとしてしまった。明治以降、日本を司る官僚の手先、天皇を頂点とする国家神道の先兵となることが「美しい日本」だと錯覚した。それが全てである。一連の法案は、アメリカの庇護の下、日本国民が苦汁をなめざるを得まい。アメリカの言いなり、そこで意地を張って国体を護持していたい願望を夢見る。極めて不自然な、日本国民だけが損する国家に成り下がる。日本の国益と僭称するだけで結局のところ、日本を不幸にする安倍政権である。  秘密保護法案は、アメリカの言いなりの大成である。
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