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伝念入院記4 第一回入院その2 食道癌末期? [伝念入院記]

1月31日(水)晴
 YDr.が顔を出す。看護師はW。
 2時過ぎに目覚める。小便は2時間に1度ぐらい。尿を全て取り検量器にかける。入れるのと取り出すのが自動ではない。便意が催すが出ず。これの繰り返しで便がこわばり益々出辛くなる。昨日の朝、ぼろぼろと丸い便が出たのが最後(それとも一昨日?)いくら息んでも手応えがない。
 朝 丸パン2個、もやしのソティ、パイナップル、ヨーグルト、牛乳
 少し詰まりかけたがこなす。
13:00 吐き気止め デキサート3.3mg 1mL 生塩100mL

○昨日のマルク検査の結果について
 画面から黒い丸が描かれている、これは脂肪という。脂肪が多い骨髄液であるから「くたびれている」と判断しているという。腫瘍的なもの(がん細胞)は見られなかった。今の治療を進めることを推奨した。最終的な報告は、主治医に伝えるとのこと。

○この検査までの経緯
 PET検査の結果から
 癌として顕れたのは食道当該部、後は見られなかったが、別の医師が脊髄に小さな反応光があると指摘。主治医は他の部位から診てほとんどあり得ない、食道の当該部だけなら、ステージⅡ、若しくはⅢ。骨にみられるとすれば末期。ということで骨に癌があるかどうかのレントゲン(シンチグラフィ)をした。すると頭部の上がβアミロイドが集積している感じで黒く映っている。脊椎上部も真っ黒。痛くないかと尋ねる。骨に転移していれば大変な痛みらしい。で、骨髄液を採って調べるということになったのであった。

 1月28日の骨髄液(腰の骨の髄から採取)の結果
 マルク検査というらしい。1/30の報告で大丈夫だというが最終的な報告は主治医するということである。しかし、骨検査は頭骨、脊椎に反応している。一体これはどういうことか?骨髄液は反応しない、がん細胞がないということ。しかし、まだ断言できないようだ。臨床の経験的知見から判断を下せるはずだが・・・。どうもしない(できない)ようだ。PETの判定のとき、主治医はあり得ないと言ってのけた。が、念のためということで骨のレントゲン検査をした。今までPETに出ていない頭部の骨ががん細胞に冒されている。それに脊椎上部。明らかにがんであるはずだ。それで骨髄液を抜き取って精査した。それがマルク検査ということだった。「異常なし」と言いきれない検査担当の医師。また後でがんであったと言われてもどうしようもない。とりあえず「詰まり」を除去して貰う以外術はない。万一のことは、その後。
 トイレで悶々として頑張ったが便りは来なかった。落胆して戻るとかみさんが来ていた。休める日の一覧を書き留める。暫くしてかみさん帰る。
 夕ご飯 ご飯(150g)、石狩鍋、野菜のソティ、順調に食べたが詰まり気味。少し閊えているが、受け入れるだけ少量ずつ食べる。半分以上食べたか、だが通ってない。しゃっくりが出る。茶を飲むと少し戻す。気分が悪くなりそうなので200メートルほど歩く。歩いて戻ると少しましか。尿検量時に排便を試みる。動いていそうでやはり出なかった。明日下剤か。
19:00 2本目投入。
 TDr.、月曜日に検診して退院してから手術をする予定らしい?月曜日の結果次第?
何度も催すのでトイレに行くが相変わらず解消されない。


2月1日(木) 木の葉に雪、細かい雪(7時半頃)
2,3時間おきに尿量を記録、そのたびに大を試みる。出口近くに来ているかと紙で拭いて確かめるが色は何も付かない。こうした今でも便意を催している。
14時30分頃、尿意、便意でせわしい。今度の便意は手応えがあり、水面に映る肛門は膨らんでいる。少し出てきたので補助する。ポロリと1個、頑張ると2個目。1個目残りである。
 14:40 ベッドに戻ると点滴、3本目。
 YDr.来る。
 便意との格闘。夜になって便意を催すたびにトイレに行かざるを得なくなる。時間をかけると少し出る。
 便秘薬を持ってこなかった。
 食べたものが完全に落ちていない。それだけで気分が悪い。残ったままだと誤嚥の可能性が高くなると思う。何とか通るようにする。ジュースが入った。


2月2日(金)晴後曇
 朝、また便が・・・。まだ大きい、すんなり出ない。苦闘の領域だ。
 朝食 パン半分弱、スープ半分、果物、牛乳、ヨーグルトは要らない。食べたリンゴが落ちていない。腹がぐるぐる痛みを感じる。
 便秘薬昨夜忘れた、今持ってきた。一応貰っておく。すっきりしない、食道も肛門も。
 横になってもすぐれない。午前中うとうとしてしまった。昼食が届く。食う気がしない。
食べなかった。検温後昼から朦朧とする。15時半頃コーヒーを仕入れに院内のコンビニ(ローソン)に行く。コーヒーは何となく落ちる。だがすっきり通過しているかどうかは怪しい。
 眼鏡をかけた医師が来て食べたかと聞く。食べなかったと言えば栄養剤でもという。食べやすいようにしようかと言ってくれるが、今まで食べていたものがなぜ食べにくく、詰まり落ちないのかということが問題なのである。
 主治医、先ほどの眼鏡の医師とともに現れる。
18:30 4本目投入。
 夕食 豆腐、もやし少々、里芋1個、ご飯食べる気にならぬ。これだけなら詰まった感はなし。


2月1日(土)曇  金融クラッシュ?
 詰まった感じ。ジュースも引っ掛かる。7時頃催すので頑張るとまともに出た。
 食欲はゼロ。少し食べるが詰まった状態。T主治医と眼鏡の医師。「おもゆに換えるか」と。
 11時頃、計尿の折、かなりの量の便が出る、やっと便秘が解消する。
 うとうとする。
 昼食みる気もせず。メニューに金目鯛ワイン煮だとか。少しせせる。それでも詰まった感じ。昨日のリンゴジュース、これも詰まり気味。便は軟便に変化した。
17:30 5本目投入。
 食事は手を付けなかった。


2月4日(日)晴雲は西へ
 2時頃便意を催すがほとんど出ず。鈍痛がする。
 8時過ぎ牛乳を飲み終わって漸く便意。使用中なので待つ。しかしそろそろ行かねば、一番近くの外のトイレに行くもドアは閉まっている。病棟から出て行っていつものトイレ。瀬戸際でパンツを下ろせば水便。久しぶりの水便。かなり出る。やっと落ち着いた。
 昼 おかゆ少し。
 かみさん、娘と共にやってくる。少し居て退散する。
 抗がん剤終了。利尿剤のみ点滴。
 詰まる不快感解消しつつある。


2月5日(月)晴
 5時頃採血、この結果で退院とか?交代した看護師、私への指示は何もないという。食欲とインフルエンザの恐れで退院は未定。
 14時前、YDr.声かけ。 
14時過ぎ栄養士来て食事についての提案する。
 16時半頃、T主治医、明日か明後日退院という。
 その後T主治医、来院検査予定表(CT、内視鏡検査)を持って現れる。明日退院決定。


2月6日(火)晴
 誕生日を迎える。暖かい快適な世界から氷の世界へ。心してかからねば・・・。

第1回入院記了


タグ:マルク検査
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伝念入院記3 第一回入院その1 抗がん剤治療始まる [伝念入院記]

2018年 1回目の入院
1月25日(木)晴
 10時頃出発。かみさんが付き添い。病棟に行くもまだ整わず。談話室で待機。しばらくして主治医T医師から話があると・・・。あまり良いことではない。1月22日のシンチグラフィ(骨シンチ)の結果の説明であった。前頭部、脊椎上部が黒くなっている。癌の転移であれば激痛を伴うらしい。癌のタンパク質成分が反応するという。前立腺癌の転移が骨に顕れやすいという。髄液を調べてみるという。
 耳鼻科受診、鼻からスコープ。
 レントゲン頭部照射。


1月26日(金)小雪ちらつく
 昼前に血液内科受診。しばらく待たされた。そして医師の掛け声「ヨーイショ」とともに骨髄液が抜かれる。この結果は1月30日。
 主治医T医師、抗がん剤治療を日曜日から始めると。
 かみさん、娘来る。昨日土曜日退院という話があったので確かめに来たのだ。抗がん剤1クールが終わると退院。


1月27日(土)雪降り注ぐ
 朝はパンとサラダ、それに果物、牛乳。詰まる。何とか通す。そして全部食べる。
 昼は順調に完食。天津風卵とじ、ブロッコリーサラダにご飯。
 夕食、魚の煮物、野菜サラダ、漬け物。野菜サラダを放り込んでよく噛んだ積もりが徐々に溜まったようだ。詰まってしまった。液体物をコップに吐く。2回繰り返すが通らず。戦意喪失。ジュースを無理矢理飲み込む。何とか通ったが食べる気はなくなった。
 T医師、月曜日から抗がん剤を始めると。表向きに主治医となっているY医師、挨拶代わりに表れる。


1月28日(日)曇時々雪
 朝はパン、ヨーグルト、ミカン、牛乳。
 昼食、憶えていない。
 夕食、ロールキャベツ、ダイコンと人参のしそドレッシング。のり。
 夕食は一度詰まる。時間をかけて何とか通す。時間が経ってから食べる。ロールキャベツは中身を少々。
 昼食後、T医師、明日から点滴と再度伝える。女医来たようだが内容は憶えていない。 4時前にかみさん来る。腕時計を持ってきて貰った。ケータイで時間は分かるのだが、一々開けなければならない。面倒なのだ。
 5時頃、息子、娘がかみさんを迎えに来た。家族一同が久方ぶりに会同した。自宅以外で揃うことは滅多になかった。それがわたくしとわたくし以外の家族との関係を示している。これ自体がストレスそのものである。家族との会話はほとんど無い。今回のことは私の不養生の極みということで一斉に非難される。


1月29日(月)曇のち晴後曇
 朝食 高野豆腐、サラダ、のり。順調に飲み込んだはずだが、溜まっている。粘度の高い液が出てくる。食べたものがあまり出てこない。少し負担が軽くなると通ったようだ。牛乳をしっかり飲む。
 今日から点滴がはじまる。シャワーを浴びた方がよいと思い、シャワーの予約をする。点滴を装着しているのでシャワーの前に防水を施して貰う。ナースステーションにいる看護師にお願いする。彼女は防水処置をしながら、私にどこかで教えていなかったかと聞く。そうだと答えるとS中で習ったという。O嬢。顔つきは全く憶えていないが話の内容にはしっかり記憶があった。昨日の看護師もK市から来ているといっていた。どこかで見えている可能性もあるなと思っていた矢先だった。

 昼、月見うどん、キュウリの酢の物。順調に食べるがまた詰まる。気をつけていたので少しは軽め。でもどっと疲れる。

 2時前に点滴はじまる。・ソルアセトF 500㎖  ・硫酸マグネシウム補正液 1mEq/㎖
薬剤師(二人)からFP療法について説明を受ける。とりあえず5日間。


1月30日(火)晴
 通常の点滴プラス 生理食塩水100㎖、ラックス注20㎖。
 体重測定 49.9㎏。体温 37.0℃
 10時30分 ソルデム3A 1L  硫酸マグネシウム 1Eq/mL 8mL
13時00分 生理食塩液 100mL アロキシ静注 0.75mg  デキサート注射用3.3mg/mL/管
 13時30分 クラッシュ済み プーロイメンド注150mg クラッシュ  生食「ヒカリ」50mL/

 14時45分 500mL/h シスプラチン50mg、10mg  テルモ生食注1L/B
 17時00分 マンニットールS注 300mL 5-FU 注 1000mg/20mg 生食注 500 mL/B
 18時30分 ソルデム3A  1000 mL
 21時00分 ソルデム3A  2000 mL

朝 食パン 薄いのが2枚 ジャム、バナナ、サラダ、ヨーグルト、牛乳。
 少し詰まる。何とか持ち堪える。
昼 里芋煮、湯葉 豆腐、かまぼこ、椎茸人参煮、ブロッコリー、サラダ、ジョア ほとんど詰まらず。
夜 オムレツ、インゲンソティー、サラダ少し詰まるも大丈夫だった。

血液内科、16時少し前に呼び出し。
 マルク検査の中間報告としては問題なし。最終報告は主治医に告知するという。「ただ髄液は元気じゃない。脂肪分が多い」(K医師)「多分栄養価、あまり食べられなかったことが原因?」ということらしい。そのまま治療することを勧める。まだ中間報告か、大丈夫らしいことが優勢、ひとまずOK .
 トイレから戻るとかみさんが来ていた。メールしょうと思っていたところ。今日のことを報告。FP療法がはじまった等伝える。

                                   

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狂牛病情報1180 スペインで狂牛病 [平成阿房伝]

ひとこと:狂牛病関連の情報が挙がらない、コロナ一辺倒になっている。米国ではCWD(鹿の狂牛病)が話題になっているはずだが、全く情報が無い。狂牛病が発生していなければよいのだが、実態は分からない。

2021年1月11日(月) by NEWS DESK


スペインで狂牛病


 OIE(世界獣疫機構)に牛スポンジ状症状(BSE)の症例をスペイン農業省が報告した。Viniegra de Arribanoの農場で発見された。
2020年12月、マドリッドの国立TSE参考研究所がLa Riojaの地方動物健康局からBSEの疑いのある検体を簡易検査の結果、陽性であることが分かった。
 その後国立参考研究所でBSEがウエスタンブロット法で確定された。非定型のH型と判定された。これはスペインの48ヶ月以上の牛、死んだ牛のサンプルや屠殺前の牛に適用されるものである。当該の牛は2003年4月20日に生まれたものである。
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伝念入院記2 検査、検査 [伝念入院記]

1月11日(木)晴
 予定通り医科大に行く。しばらく待たされてどういう立場の医師か知らねど問診を受け、手術する方法まで言われる。わたくしは食道狭窄であると思っていたが、内視鏡の結果で癌らしいと分かった。生検を待つまでもなく、端から手術なんだ、深刻なんだと感じた。担当の医者はいろいろな指示を出していた。後で分かったことであるが、この医者が消化器外科のトップだった。
 看護師に次の行き先をまとめた書類を受け取り、その通り動いていく。はじめにしたのが入院申し込み。その次に周術期管理チームというところに行く。麻酔科医、薬剤師、管理栄養士、看護師、歯科医とタッグを組む。初めて経験するものだ。それぞれ相談する予定が組まれた。検査の合間に済むように組んでくれた。そして入院に関する相談を終えて本日終了。


1月12日(金)曇
 手術部看護師と面談が14時。歯科医のチェックがその次。上の3本の歯のうち1本が歯周病だと。人工呼吸器をつけるのに緩い歯があれば危険なのでマウスピースを作るという。最後にCT検査。検査が終わったあと、消化器外科に寄るように伝言される。
 しばらく待って診察、というか今後の体制で、追加検査の指示。PET、内視鏡。前とは違う医師。PETは他にがんがあるかを確かめるという。ことによっては放射線治療も考慮しているという。対象が大きいので抗がん剤で小さくしてから手術になるという。
 帰ると歯科から電話。マウスピース、金曜日に出来具合を見るという。


1月16日(火)晴れ
 8時半に出る。バリウムによる胃のレントゲン。バリュウムが嫌で、健康診断でバリュウム検査を受けてこなかった。でも仕方ない。吐きそうになるが、量が少ないので何とか無事終える。
 薬剤師と面談。栄養士と面談。麻酔科医と面談。午前中に終わる。どこかで昼飯を食おうと思ったが、喰いたいものが見当たらない。洗車もする必要がある、あまりにも暖かい風も少ない洗車日和なのだ。帰宅することにする。洗車する。ずいぶん使わなかった洗剤を使う。
 夕食が通らなかった。夕食前に冷蔵庫に保管していた柿を食べたのだ。ビタミンCが足りないので補給しようと思ったのだ。食道を広げる試みとして、あまりかまずに飲み込んだ。それでもあまり違和感はなかった。夕食でチキンのシチューを食べていると、どんどん溜まっていく感じで落ちない。苦しくなる。吐こうとするも大して出ない。がんばって吐いたが、鈍痛は治まらない。3時間ほどして水を飲む。膨れる感覚がする。牛乳も飲む。すっと通らない。でも少しはましになったか。

1月17日(水)雨
 3時前に起きる。小便する。
 朝飯を食う。その前に水を飲む。詰まった感じはなかった。朝飯をよくかんで飲み込む。少しずつ食べるが、通った気がしない。食べるのを止めると、戻りやすく、ほとんど水分。そのうち食べたものが出てくる。また通らない。
 便意を催したので、下からも出すと良いことがあるかもと・・・。昨日のバリウムが出れば良いのだがと思いながら出していると、途中から白いものが出てきたこれで安心だ。でも最後まで白かったので少しは残っているかも・・・。
 しばらくしてコーヒーを飲む。これはすんなり通った。これは嬉しい。 
PETだ。2時の予定。早めに着いたので、公園の駐車場で一服。病院で直接受付へ行く。待合室に入ると5人ぐらい待っている。そこでも一番に呼ばれる。
 検査服に着替えて血糖値の測定。正常とのこと。次に点滴。押し込むだけだ。それから別の部屋に移り、リラックスタイム。50分。そこで持参した水を500ミリリットルほどを飲むことになっている。食道の通りがよいかどうか確かめながら飲む。順調だ。時間がきて排尿。
 検査室に入る。機械はCTと変わらない。身体を4カ所に区切って画像を撮る。一カ所5分か。2回あった。2回目は10分程度か。身体を動かせないのは苦痛だが、それほど耐えられないことはない。終わって機械のメーカーを尋ねると、GEだと返ってくる。ここのCTは、東芝だった。検査が終わっても20分ほどの緩和タイム。検査後の注意事項に検査のあと人の多いところに行かない、子ども等の接触をなるべく避けるとある。かなりの被曝量なんだということ。
「 PETで使われるフッ素18 (18F と書きます)の半減期、放射能が半分に減る放射線物質の寿命は110分、炭素11 (11C と書きます)の半減期は20分と大変短いのが特徴です。このため、ひばく線量も低く抑えられ、全身のひばく線量は2.2~3.5ミリシーベルトといわれています。つまり1年間の自然放射線量と同等から2倍程度です。PET-CT検査ではCTによるひばくが加算され、2~3倍になりますが、それでも人体には全く害のない、自然放射線レベルのひばく線量です。他の検査、胃の透視やCT検査などとも、大差ありません。」(国立国際医療病院)
あとの問題は検査料。3万円以下だった、よかった。
 どこかで飯でも食おうかとも思ったが、面倒なのでまっすぐ帰ることにする。腹が空いているので昨日受け付けなかったシチューを食べる。すんなり入る。


1月18日(木)晴
 少し早めに着くと思ったが、予定時間通り。受付を済ませて待合室に行くと5,6人がすでに待っている。座ってすぐに呼ばれる。
 少し白く濁った液を飲まされる。そして麻酔の噴霧5回、5分口に留める。時間がきて口をゆすぐ。検査室へ。
 カメラ部分を嚥下するのが困難でかなり苦しかった。今まで一番苦しかった。かなり強引に入れるからだろう。その分看護師が身体を擦ってくれる。かなり着色液を流し込む。小さな鼻から入れる内視鏡で口から入れて、今度は3カ所生検用のサンプルを採る。
 終わって画像の説明を聞く。1カ所は診療所で観たものと同じ。ただ塞がるほどになっていた。通りが悪いと分かるほどだ。大きさや堅さが影響するほどになってきている。
 問題はその上に小さなものがたくさん変色して見える。これは大きいがんになるという。前の1カ所だけなら、腹腔鏡手術ということもあるが、この状態では分からない。どうするかあとの判断となるという。検査費用1万円あまり。
 昼飯を食うことを考えたが面倒になった。ホームセンターで光に反射するテープかその類いのものを手に入れる。クルマを駐車するときに後ろの景色がわかりにくいのだ、特に夜は。で試験的に買ってみた。
 母屋の離れの雨漏り対策に波板のトタンを被せてみた。効果があるか確かめるとだいぶましのようだ。他のところが漏れていた。


1月19日(金)晴
 8時半頃家を出る。9時10分前に病院に到着。歯科医の待合で詰め碁の本を読むまでもなく、呼ばれる。マウスピースの装着を試みる。最初歯肉にあたって痛い。少し動かしてくれる、きっちり収まった。これをして手術に望む。丁寧な措置である。万一歯が抜けて落ちたら大変なことになるという。歯科はすぐに終わった。
 いよいよわたくしの命の選択がなされる。予約の時間に1時間以上ある。詰め碁の練習本をかなりこなしていく。少々飽きかけたところで時計を見ると予約時間に迫っていた。担当の医師の部屋からひとり出てきた。しばらくして呼ばれる。録音機を入れて臨む。
 結論は出なかった。PETでの結果、骨(脊椎)の2カ所に小さく光っている部分があると他の医者が言う。もしそれがガンであれば末期、そうでなければⅡ、Ⅲ期の進行性ガン、その場合は手術。前者の場合は抗がん剤治療のみ、後者も抗がん剤で腫瘍を小さくしてから手術。いずれにしても入院ということになる。医者が入院日を指定。来週の水曜日か、木曜日。なんだかんだ言いながら、結局25日に決定。その前の月曜日。骨にガンがあるかの検査をする。核医学検査(骨シンチグラフィ)という。4,5時間かかる検査らしい。その結果で運命が決まる。ただPETでは他の部位にガンが見つからなかった。心配していた肝臓にもガンはなかった。もし脊椎にガンがあればどこかの部位にも顕れようというものだがそれはわからない。検査するしかない。
 保険限度額の申請をする。何とか木曜日までに間に合わせると支所の係は言う。
 友人のおふくろさんの供養を仕入れる。1月1日に亡くなったという。92歳。夜、彼の店に行く予定だったがお参りが先だということと、今晩家族に話しておかねばならないと思って夜出かけるのを止める。頼んでおいた保証人を、書類に記入してもらうことにした。12時半頃に着く。眠そうな彼に書類の記入を頼む。おふくろさんの供養をする。
 どこかで飯でもと思うが、結論は出ず。スーパーで少し買って帰る。
 かみさんが帰ってきて今までの経緯を話す。
 珍しく息子たちが7時過ぎに帰ってきた。晩ご飯を食べたあと、今回のことを話す。今までの生活だったら当たり前だと非難囂々。いつものことだ。


1月20日(土)晴
 昼から息子に伝えておくべきこと、前々からきちんと言わなければならなかったことを伝える。消えた水路のこと、復活せよと言われたらどこをどうするか、何しろ水路は国のものだから。重要書類の入っているのはどこか。それから家のメンテナンス等々。取りあえず話すことは言っておいた。あとはその都度聞けばよいと・・・。
 禁煙する予定だったが、仕入れてしまった。何と意志の薄弱なことか。酒は全く飲む気にもならない。これが不思議だ。一口飲めばまた復活しそうなので極力飲まないでおく。でも入院前に一口飲んでもよいだろう。あと、飲もうと思っても飲めない。


1月21日(日)曇
 朝いつものようにいつものように朝食を摂る。
 昼飯にミートソースもどきを作る。食べるが途中で詰まりだした。吐きだした。いつまでも通らない。ほとんど出したようだ。それでも苦しく、吐く唾をためて何回も吐きに行くのを我慢していた。ちょっとした弾みで、それが気管に入った。咳き込んで咳き込んで大変だった。肺炎になるかもしれない、焦った。しかし5時頃まで食道は落ち着かなかった。やっと水分が飲めるようになった。よかった。今回が最悪だった。ほとんど吐いていた。もちろん食べたものは出なくなったが、唾液のようなものがすぐに溜まるのだ。それを吐くことの繰り返しだった。


1月22日(月)曇のち雪、雨に
 シンチ検査。8時半に出る。受付を済ませると、すぐに注射。4時間待ち。飲食しても何でも好きなように過ごせと言う。1時前に来るように言われる。行くところがないので帰宅して新聞を読んだりニュースを見たりして過ごす。朝飯はすんなり収まった。昨日までの残り物を少し食う。何の問題もない。昨日のことは嘘みたいだ。12時半に病院に向かう。1時前の到着。すぐに検査室へ。検査の前に小便をしてくれと。戻って金属類のものを外す。CTやPETと違い、箱形である。撮り方は同じ。30分以上、40分近くかかる。結果を問うが、細部に亘って画像を作成するのでそれまで詳しい結果は分からないという。機械はGE製。
 帰りに靴下とパッチを仕入れる。雪がよく降る。店から出ると雨に変わっていた。コーヒーを飲みに寄ろうかとも思ったが、面倒なので帰る。コンビニで1月分の国保料を支払う。ついでにタバコ仕入れる。このタバコが最後になろう。


  検査料金 科目    料金
 ・1月5日    医院 受診      850
・1月5日    診療所 受診   850
・1月10日   診療所 内視鏡検査  8430
・1月11日   医大 診察及び検査    ?
・1月12日   医大  歯口 5400
   〃    〃   CT検査 9110
・1月16日     〃  バリウム・レントゲ ン 2940
・ 〃     〃   麻酔科 780
・1月17日    〃  PET 24780
 ・1月18日     〃 内視鏡 10150
 ・1月19日     〃   歯口 230
   〃    〃 消化器外科受診 220
 ・1月22日 〃 骨シンチグラフィ 13600
計 77340
(3割負担料金)



タグ:pet シンチ
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伝念入院記1 癌再発 [伝念入院記]

1月6日(水)晴   2021年
 4年前の今頃だったろうか、わたくしはふと思った。何年生きられるのだろうかと。2002年6月に胃の三分の二を切除している。それから15年経過している。癌の再発はもうないだろうと不遜にも思った。以前は死んだ人が何の癌で死亡したのか、読み取っていたのだがそれもしなくなっていた。癌はわたくしにとって遠い存在のように思うようになっていた。

2018年
1月5日(金)晴
 朝飯を食べると詰まってしまった。今まで毎日詰まってむせるが、飲み込めていた。酒は止めよう止めようと思いながら今日まで来た。医院が開くまで待って早めに出かける。1年以上来ていない。内視鏡は出来るものと思っていたが、やってないという。知り合いの医院に電話をかけてくれるが休院らしい。仕方ないので今までいっていた近くの診療所に電話する。とにかく診察を受けて欲しいという。
 何故その診療所に行かなくなったかというと、主治医が気にくわなくなったからだ。5,6年前に遡る。仕事に必要な健康診断書を求めたら、高血圧であるとか、肝臓がよくないとか書かざるを得ないという。それでは仕事できなくなるので何とかしてくれ(要するに所見で働けると書けばよいだけのこと)というても嘘は書けないという。今まで信頼してきたのがいっぺんに吹き飛んだのである。自己保身だけの輩であると。それでそこには行かなくなったが、降圧剤を仕入れるのにまた行かざるを得なくなった。前の勤務先の医院でもらっていたのが、仕事先が変わって近くでもらうことにした。例の医師のいない曜日にもらっていたが、恩師の息子さんがやっている医院があるのが分かってそこで薬をもらうことにした。それが上に述べた医院である。
 診療所に行き、久しぶりに避けていた医師に会った。内視鏡検査をいうと、耳鼻咽喉科の方がよいとかいう。その言いには引っかかりがあった。こちらは黙っていた。水曜日は内視鏡をやるらしい。医者が水曜日はと、看護師に聞く。1件入っているという。11時に入れようということになった。


1月10日(水)晴
 11時前に診療所に行く。診療の合間にするのであるから待たされる。内視鏡などの検査器具は洗浄が一番肝要であるが、その意識が日本ではどこまであるか気がかりである。器具から感染する。今日2番手である、心配であるが任せるしかない。
 やはりというか飲み込みづらい。いつもなら大丈夫、問題ないですねということだったが今日は違った。ワイヤーを挿入して皮膚の一部を培養液に入れた。3カ所取った。画面を見てみると食道の下部に入るところが一部白くうつっている。あきらかに他のところと違う。これが嚥下を妨げていたのだ。内径の三分の一近くを占めている。堅くなっているそうである。
 あとの画像判断で、「あきませんか」と問えば、よくないでしょうと返ってくる。どこの病院に予約しましょうかときた。市民病院で、わたくしの父は殺され、恩師も殺された。わたくしも前の手術のとき癒着してしまって、その後腸閉塞となった。2回も手術しなければならなかった。選択の余地はなかった。医科大にするしかない。じゃ予約するから連絡先をということになった。混んでいるところだから先になるだろうと見込んでいた。
 ところが帰宅して1時間もしないうちに診療所から連絡が入り、明日の9時の予約となったというのである。紹介状を夜の診療時間に取りに来るように指示された。これはよくないことの証。
 次の日から検査検査の毎日が続く。

タグ:食道癌
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石のつぶやき1163 2021年を迎えて  [平成阿房伝]

 二〇二一年を無事迎えて嬉しく思っています。

 コロナと言えばブルーバード。奇しくもブルーバードの後継車シルフィは二〇二〇年九月、生産終了となりました。ブルーバードはコロナを圧倒してダットサン(日産)は世界に羽ばたきました。私はどちらも乗り回しましたが、ブルーバードをかなり長く乗っていました。コロナが消えて久しいのですが、青い鳥が二〇二〇年消えたことは、何やら象徴的な出来事です。

コロナウイルスを封じ込めるには、徹底的な検査と感染者の隔離です。中国がやったことを早期にすれば、こんな「ゆでがえる」状態ではなかったはずです。そのうち家族が感染して皆感染するというパターンが待っていそうです。桑原、桑原。息を潜めて出かけるのは最小にして静かにときを送るしか方法はなさそうです。皆様におかれましては、無理をなされぬよう、ご自愛ください。ご健勝をお祈りいたします。

             二〇二一年正月

追記
  「ころな徒然記」で毎日アップする予定でしたが、6月1日からの一斉登校の様子をみていて何事もなかった、昔通りに戻ってしまいました。半分の生徒数で週二日ほどの登校が5月に始まりました。6月から全員登校となればどうするのかと思っていたのでしたが、単に元に戻しただけでした。生徒は授業中だけマスクをして目に付かないところではマスクを外していました。ほとんどかつての日常に戻ってしまったのでした。であるから日々書き留める要素はなくなり、今日に至ったのです。
 十全な検査をせずに感染者を放置しておいたのですから、今現在このような結果がもたらされることは火を見るより明らかなのです。
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ころな徒然記 11 7月末で無事仕事が終わった [ころな徒然記]

8月1日(土)晴
 昨日7月31日で仕事が終わる。体重が3キロ以上減る。毎日5食以上食べて41キロになっていたのだが、仕事の間は3食、しかも昼は飯類はほとんど食べなかった。下痢を恐れてのことだが、それでも食後は便意を催しトイレに行くことが日課となった。ウオッシュレットが無いから大変だった。窮屈すぎて、こんな設計あり得ないとつくづく思った。 コロナのウイルスにも感染せず、休んだのは定期検診に行くためだった。一度授業に行って、腸閉塞が起こった。我慢していたが、生徒が他の教師を呼びに行ってくれた。1時間ほど横になって何とか治まった。大事に至らず仕事は無事終わった。
 毎日片道1時間のクルマ通勤だったが、体力的によく持ったなと思う。
 6月に毎日通常の授業が再開され、学校では全て日常が戻った。休み時間、生徒はマスクを外し、手を繋いで、はしゃいでいる。夏休みが短縮され、短縮された休みは5時間の40分授業となった。給食付きである。だから昨日31日まで給食があった。給食があるのは良いことだ。
 何事もなかったの様な日常性に戻った。どっこいコロナウイルスはいるんだということを最近の感染者数の増加が示している。ウイルスを撒き散らすしかないGO TO なんちゃら、命令を何が何でも遂行する。何とかマスクもそうである。さらに8000万枚を撒こうとしている。どちらも利権が絡んでいる。コロナウイルスにかこつけてやっている政策は全て利権の行き先が決まっている。だから何が何でも既定の方針を変えない。どんなに感染者数が増えようと経済との両輪は、当然とばかり。日本国民その呪文に納得している。経済も回さねば・・・。でどんどん感染者が増えていく。その増え方を抑えるのに検査を多くしない。しない言い訳ばかりをいう。
 やるべきは検査であり、感染者を隔離することである。


閑話休題


10月19日(月)曇のち雨
 夏はいつの間にか感じなくなり、昨日ストーブを点けた。今日も寒いのでストーブに頼っている。
 9月の終わりから山に入っている。キノコである。10月に入ってもキノコ類はあまりは出ていない。最近では珍しい。3年ほど前まではこういう状態が当たり前であった。それでも健気にマツタケは出ていた。今年は以前に戻っている。これほどアミタケが少ないのは最近では稀である。3日続けて山に入ったが、体力的にはそれほど問題は無かった。喜ぶべきことであろう。
 最近食べたものが詰まることが少なくなってきている。前は食べる毎に詰まって苦しい目をしていたが、最近あまり詰まることはない。詰まり気味のことはよくあるが、溜まった唾を吐かなければならないほどのことはなくなった。
 通院や買い物に出て行くが、コロナに感染することは未だにない。幸運と言うべきだろう。家族が毎日仕事に行っているがおかげで感染はしていない。だからついコロナのことを忘れてしまう。ヨーロッパでまたぶり返し外出禁止令を出している。日本の場合、相変わらずPCR検査を十全にしない。世田谷区がPCR検査を充実することを決めると批判するという信じられない反応が出る。PCR検査をなるべくしないでおこうという勢力が未だに日本のコロナ対策を支配している。よく統計を見れば、日本の感染者数は中国を上回った。中国 9万0955人、日本 9万2843人(10月18日 米ジョンズ・ホプキンズ大) ヨーロッパと比べれば、日本は善戦していると言って良い。しかし、アジアでは韓国の対応に学ばなければならない。PCR検査を迅速に数多くした結果なのだから。これから冬に向かう。人の移動が緩んでいる。人の移動がもっと頻繁になる。正念場を迎えることになる。そのときの対応ができるのかが日本の将来に関わってくるだろう。


タグ:コロナ
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ころな徒然記10 さうか塚本邦雄生誕100年 [ころな徒然記]

5月15日(金)晴後曇のち雨
 全員出勤している。コロナは消えてしまったかのようだ。3密など関係なくなった。マスクと検温だけは続く。6月1日からの1週間は午前中の登校。6月8日から給食が始まる。通常の授業が始まる。わたくしが感染すれば命取りになる。一昨年の手術で右の肺の三分の一が機能していない。免疫力が低い。てきめんである。運を天に任せるしかない。


5月26日(火)曇のちにわか雨
 「アベノマスク」が届いた。一つは13.4㎝✕9.7㎝。もう一つは13.7㎝✕9.3㎝。大きさが違う。かみさんから貰った不織布の定番、17.5㎝✕9.5㎝、襞3折り付き。前者はすごく小さく感じる。話していると、外れそうになるだろう。不織布でもそうなるのに布ではなおさらだ。どう考えても役に立ちそうにない。それでもかみさんは今後のことを考えれば残すように言う。またマスク不足が起こる可能性もあるだろう。ま、要らなくなることだけを祈る次第だ。
 

5月30日(土)晴後雨
「特別給付金」関係書類在中と印した書類が送られてきた。同時に昨日電話した減免証明書も送られてきた。自動車税の減免申請したものの、未だに減免の通知が来ない。問い合わせたのだ。今日送るという。それも届いたのだ。前者の送付元の住所が全然違う住所になっている。
「 神戸名谷ワークラボAOZORA」となっている。パーソルテンプスタッフ株式会社が神戸市と提携したものである。それが給付事務を請け負うている。
 経済産業省中小企業庁の持続化給付金の業務が、一般社団法人サービスデザイン推進協議会に委託されている。緊急経済対策をめぐって、総務省や厚生労働省もコールセンター業務などを複数の企業に委託している。経産省費用が突出している。
 協議会は電通や人材派遣大手のパソナ、ITサービスのトランスコスモなどが関わってできたとされる。従業員数は14人。769億円で業務を請け負う。その業務を電通に再委託されている。
 「あのマスク」、新たに5者判明。いずれも随意契約。ワークス(東京都)、ブルーマーレ(同)、東洋繊維(岐阜)、RELIEF(大阪市)、TSO International(高松市)で、契約金額は計約36.6億円。介護施設や妊婦向けなどに5月12~15日に契約された。興和、伊藤忠商事、松岡コーポレーションの3社も、全世帯向けなどの布マスクに計129.4億円で追加受注していた。全世帯向け約466億円、介護施設や妊婦向けなどに約504億円の予算。


6月1日(月)晴
 朝飯は納豆にしたが、詰まってしまう。納豆では初めてになるか。でき物ができているのか、不安が過ぎる。昼も詰まった。帰りに喰った残りも詰まった。唾が溜まりすぎて途中ところ構わず止まって吐き出す。息ができない状態となる。苦し紛れに吐き出すとやっと息ができるようになった。こんなことは初めてだ。溜まった唾は吐き出すのが正解だった。
 波乱の6月入りだった。何事もなかったように午前中短縮4時間の授業が始まった。1時間目は全校集会。テレビを通じて今後の生活で気をつけることなど説明するが、どこまで生徒に浸透することやら・・・。3時間授業があった。休み中に出しておいたプリントを回収する。今日の出来事についての学年集約。教室の消毒。等々で一日は終わる。あたくしは定時で帰るが、みなさんは当たり前のように残っている。


6月14日(日)雨
 梅雨に入った。学校は元に戻った。いつもと違うのは、検温だけだ。コロナなど無かったかのような様相だ。部活もある。このままが通用するなら、これほどありがたいことはあるまい。朝刊に塚本邦雄のことがあった。朝日俳壇歌壇、うたをよむ 生の実感をかみしめる 林 和清から
 わけのわからぬ茂吉秀吟百首選りいざ食はん金色(こんじき)の牡蠣フライ  「魔王」
ゴママヨネーズをオマール海老にぬたくって憲法の日の夕食(ゆうげ)はじまる 同

わたくしは
 慎重に食みしも閊える三度の悲しみ そが生きる証か My Live Matter   
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ころな徒然記 9 コロナ上の空 検事総長定年延長安倍大変 [ころな徒然記]

5月15日から教職員、通常勤務
5月12日(火)晴
 在宅勤務であるが10時頃家を出る。11時前に到着。2クラスが登校。2教室を1クラス2充当。5クラスあるので3日間要する。11時から12時半まで。各クラスをまわって担当教科を見る。6月からどうするのだろう。空き教室を総活用するにしても教員はいない。結局元のクラス単位で授業を始めることになるのか。

コロナは上の空、検事総長定年延期が安倍大変
5月13日(水)晴
 朝の打ち合わせで、15日から通常勤務になるらしいという。明日14日の大部分解除の規定方針に向かって感染者の数が減ってきている。先日の国会で重要な役割であるはずの専門委員会のひとりは、感染者数は分からないと宣う。10万人、20万人か、分からないという。それで判断するのであるからいかにいい加減であるか分かろうものだ。感染者数が減っているのはPCR検査の数を減らせば済むことなのだ。嘘の上塗りでしかないのだ。だからコロナはどうでもよく、検察庁法改定が焦眉の急と白状している。政権の言いなりの検事総長にすることに汲々としている。よほどやばいことをこの政権がしているという証左だ。コロナは建前である。コロナに対する情は何も感じられない。2枚の「安倍のマスク」も今になれば何の必要性もない。おまけに不良品の検品費用に8億円かかるという。検品のために550人を雇った費用だという。不透明な契約、金額も明瞭でない、こんな契約がありうるのだろうか、税金を使っているのである。安倍政権の税金の使い方が全てこのようなものなのだろう。誰も問題にしない、不思議である。これだけでも安倍政権に任してはおけない。さらに10万円も何時届くかも分からない。必要としている者に届かない安倍の政治。教育もどうするのか、地方に丸投げ状態。そして自粛緩和だけは徐々にしていく。若い相撲取りがコロナ肺炎で亡くなった。多臓器不全という死亡診断。相撲取りは一般の人より重症になりやすいとのコメントつき。本当は怖いコロナ肺炎。でも日本ではそうでもないという錯覚に陥りやすいのが実情だろう。なぜなら感染者数もそれほど増えない、死者数も思ったより少ない、それが油断してしまうことになる。本当のことが、霧に覆われている。コロナの真の姿が見えてこない。そんな状況で緩めていく方向なのである。根拠がないから心配である。学校が開校すればコロナの菌は撒き散らされる。これは世界の一致する見解である。唐突だった休校宣言、これは今から言えば家庭にコロナを蔓延らせることを防いだことになろう。しかしあまりにも唐突で説明不足でもあった。それでは今なぜ休校を止めるのか、学校再開するのかきちんとした説明が必要だが文科省もしない。学業保障を言うだけである。地方の教委に丸投げなのである。熱意が感じられない。黒川を検事総長にしなければならない、定年を延長した、閣議で。今までの政権でそんなことをした政権はない。法律で決まっていることで、それが問題になったことがない。なぜ安倍はどさくさに紛れてでもこの法案を強行しようとするのかに尽きる。もう一度言おう、やばい橋を渡ってしまったのだ安倍晋三は。だからコロナは上の空なのである。

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ころな徒然記8 [ころな徒然記]


登校日が増えた
5月7日(木)晴
 休み明けで混んでいるものと腹をくくって家を出る。工場群に至るも空いている。まだ休んでいるのだろう。連休前よりもクルマが難なく進む。
 朝の打ち合わせで、6月から授業再開の運びとなるらしいという。そして登校日をまた設けることになった。一回目は前から決まっていた今日明日にかけて学年別に登校。家庭学習のドリルや課題を手渡す。次の登校日は質問教室のようなものを想定している。授業は行わない。この流れが感染者数の少ない地方から始まる。全て自粛解除の方向となる。何を根拠にしているのか、感染者数が少ないということが根拠になっていそうだ。
 PCR検査数と感染者数が明確になっていて、感染者数が減っていることが明らかになれば自粛解除の方向は間違いではなかろう。我が日本国の場合、PCR検査が政権が言っていた一日2万件などほど遠く、一体何件しているのかさえ明らかにしていない。何ヶ月経っても同じ戯言をくり返すばかり。努力する。
 検査件数がまともな数字であって、感染者数の数が減ってきていれば自粛緩和も考えることもできようが、今の状態で判断を下すにはあまりにも杜撰である。国会の答弁での嘘や書類改竄で国民を騙せても、新型コロナウイルスには通用すまい。しかし毎度のことだが日本国民の命は安い。1銭5厘が未だに通用している。国民の命と財産をを守ると「ときの為政者」が高々と声を張り上げればあげるほど、国民の命は省みられず、財産てものは露と消えていく。国民の命が危険にさらされている今の際、金も出し惜しみおのれらの利益だけに汲々としている。トランプ同様、恥とか矜恃とかいうものがまるで感じられない。子どもをどうやって教育していくんだという当たり前のことが、いつの間にか忘れ去られている。これほど不幸な世はあるまい。

90分二コマの登校 一回目
5月11日(月)晴
 朝方まで雨が降っていたのだろう、かなり濡れている。桐の花びらや藤の花びらが落ちている。いつも三つ葉アケビの花も落ちてくるのだが、最近見ない。消えてしまったようだ。
 今日こそ休み明けなので混んでいると思っていたが、それほど混んでいない。時間の問題か。
 明日から登校日と登校時間を設定。学年毎に時間を区切り、90分の時間割。朝の会、帰りの会もする。その間二コマに分けて質問教室風のことをする。基本は自習。授業は行わない。距離を取るから一クラスを二部屋で行うことになる。5クラスあれば1日の登校が3日かかる。6月から本格的に授業を始めるつもりでいる。距離など関係なくなる。通常の授業となるだろう。今まで叫んできた3密とは一体何なのだ。8割減らすとは何だったのだろう、ということになる。専門家が良いといえば、コロナも退散するのか。極めて不可思議な対応である。摩訶不思議。

タグ:三密 登校
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