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石のつぶやき226 日本語ができなければ住めない、悲しい日本 [平成阿房伝]

12月29日(水)10  毎日新聞

福井市営住宅:外国人入居に日本語能力 市長、撤回に難色

 福井市が市営住宅の入居審査で、外国人は日本語の日常会話ができることを明文化していた問題で、東村新一市長は28日の定例会見で、「外国に住むならある程度の日常会話ができることは本来の事。それほどできない方が市営住宅に住まなければならない事が問題だと思う」と述べ、条件撤回に難色を示した。

 東村市長は外国人が入国から市営住宅を申し込むまでの間に「会話ができるような対策をすることが(市の)共生プランの位置づけ」と説明。今後、日本語を話せない外国人がなぜ福井に来ているのかを調査するという。この問題ではNGO「移住労働者と連帯する全国ネットワーク」(東京都)の高原一郎運営委員が27日、市に在留資格や日本語会話能力による入居制限を削除するよう申し入れている。【幸長由子、安藤大介】


ふたこと:錯覚でしかない思い上がり、支配者の無知な思いこみの強要である。アメリカでは英語が話せない人が数多く住んでいる。日本人の一世もそうであった。それでも生活はできたが、当時は黄禍論で、差別そのものであった。しかし、言葉が話せないことにまでも言及しなかった。それほど言葉ができない移民がいた。  「外国に住むならある程度の日常会話ができることは本来の事。それほどできない方が市営住宅に住まなければならない事が問題だと思う」、ある程度と曖昧なことで糊塗する横柄な態度。さらに問題なのは、「今後、日本語を話せない外国人がなぜ福井に来ているのかを調査するという。」という条である。古い言いぐさで申し訳ないが、「カラスの勝手でしょう」でしかないものである。このような言葉が地方とはいえ(失礼、日本の中心にも大きな顔をして錯覚しているぼんくらがいますが・・・)、首長の言辞として発せられる日本に未来は見えてこない。
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