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石のつぶやき815 宗教戦争は目眩まし [平成阿房伝]

1月18日(金)15


阪神淡路大震災の20年を迎える前日に

 時間は弾丸のように過ぎゆき、むなしい肉体だけが取り残される。肉体と言っても白い骨にわずかな肉片をまとったおぞましいものである。それが現実の醜い姿であるにもかかわらず、強欲だけは主張する。この世を支配するものは金融でしかないと・・・。ウジ虫にまみれた髑髏は微笑んでいるとも見える。確かに負傷した軍人を看護していた母はそのウジの動きを笑っていると受け取った恐怖は、はかりしれない。そのような錯覚をさせる営為は、人間の悲しい欲の性の結末なのである。
 
 にもかかわらずとでも言おうか、であるからにしてと言おうか、グローバリズムという空しき言語が当たり前然としてこの寂しき地球を徘徊する。まさに21世紀の妖怪なのである。その妖怪に「否」を唱える勇敢にも見える錯覚が出現した。あり得ない出来事に百鬼夜行の妖怪は、仕掛けた罠にはまった異端者に恐ろしい企みを仕掛ける口実をこじつけ、全精力を傾ける。傾けるべきは、おのれらの今の民の生業の悲しい姿を直視して相応のことをしなければならないはずなのに、最も安直な手法しか選択の余地がなかった。民の目をそらすには、それなりの工夫をしたのであろう。まさにこれが不幸の始まりといえよう。

 資本と労働者の古典的な対決であるはずが、宗教戦争の様相を呈してきた。これは止まることのない不幸を演出する。

閑話休題
 あまりにも阿呆なことが当たり前になった日本国は、アベノミックスを成功させようという。ゴールを示していないこのおためごかしは、目眩ましでしかない。株は意図的につり上げられる。だが実態の経済では、成長戦略などあり得ない。成長に見合う労働市場が存在しないからである。詰まるところ、日本国内で成長するものはないのである。収縮していくしかない。地方再生というのも目眩ましでしかない、言葉だけの話に金をかけているだけだ。検証のない金のばらまきで、潤うのは地方再生とは関係のない輩だ。

 そんなことは安倍政権にとってはどうでもいいことだ。目指すは、集団的自衛権なのだ。安倍は日本の過去をなかったことにして、美しい未来を訴える。その腹の底をアメリカは見逃すはずはない。日本はアメリカにとっておいしい國(属国)なのである。その結末は日本が集団自衛権のもとにアメリカのいいなりに海外に自衛隊を軍隊として派遣させられる運命にある。そんなことを日本の民は認めていないのだが・・・。


 あまりにも受け止めるには非力な私にとんでもない暴風雨、雷あられが到来しました。立ち尽くす日々、そのうち言葉を発する行為すらできなくなっていく。何というか、失語症に陥っていくのです。時間が経てば経つほど、それが当たり前となっていくのです。たぶん、私の意思力がそれほどでもなかったことなのでしょう。ただ新年に向けて次の言葉を何とか紡ぎました。高村薫は阪神淡路大震災を受けて、年賀状を止めたと言います。なぜなら、年賀状は一年一年をご破算で迎える巧妙な、意識に上らない、過去を振り返らない新しい年を迎えるための儀式でしかないと看破していると解釈しています。

 私はようやく新年、数少ない人たちに勝手な言葉を贈りました。
 
もう20年か まだ4年 震災と人災  母は従軍看護婦  召集待ち
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