伝念入院記4 第一回入院その2 食道癌末期? [伝念入院記]
1月31日(水)晴
YDr.が顔を出す。看護師はW。
2時過ぎに目覚める。小便は2時間に1度ぐらい。尿を全て取り検量器にかける。入れるのと取り出すのが自動ではない。便意が催すが出ず。これの繰り返しで便がこわばり益々出辛くなる。昨日の朝、ぼろぼろと丸い便が出たのが最後(それとも一昨日?)いくら息んでも手応えがない。
朝 丸パン2個、もやしのソティ、パイナップル、ヨーグルト、牛乳
少し詰まりかけたがこなす。
13:00 吐き気止め デキサート3.3mg 1mL 生塩100mL
○昨日のマルク検査の結果について
画面から黒い丸が描かれている、これは脂肪という。脂肪が多い骨髄液であるから「くたびれている」と判断しているという。腫瘍的なもの(がん細胞)は見られなかった。今の治療を進めることを推奨した。最終的な報告は、主治医に伝えるとのこと。
○この検査までの経緯
PET検査の結果から
癌として顕れたのは食道当該部、後は見られなかったが、別の医師が脊髄に小さな反応光があると指摘。主治医は他の部位から診てほとんどあり得ない、食道の当該部だけなら、ステージⅡ、若しくはⅢ。骨にみられるとすれば末期。ということで骨に癌があるかどうかのレントゲン(シンチグラフィ)をした。すると頭部の上がβアミロイドが集積している感じで黒く映っている。脊椎上部も真っ黒。痛くないかと尋ねる。骨に転移していれば大変な痛みらしい。で、骨髄液を採って調べるということになったのであった。
1月28日の骨髄液(腰の骨の髄から採取)の結果
マルク検査というらしい。1/30の報告で大丈夫だというが最終的な報告は主治医するということである。しかし、骨検査は頭骨、脊椎に反応している。一体これはどういうことか?骨髄液は反応しない、がん細胞がないということ。しかし、まだ断言できないようだ。臨床の経験的知見から判断を下せるはずだが・・・。どうもしない(できない)ようだ。PETの判定のとき、主治医はあり得ないと言ってのけた。が、念のためということで骨のレントゲン検査をした。今までPETに出ていない頭部の骨ががん細胞に冒されている。それに脊椎上部。明らかにがんであるはずだ。それで骨髄液を抜き取って精査した。それがマルク検査ということだった。「異常なし」と言いきれない検査担当の医師。また後でがんであったと言われてもどうしようもない。とりあえず「詰まり」を除去して貰う以外術はない。万一のことは、その後。
トイレで悶々として頑張ったが便りは来なかった。落胆して戻るとかみさんが来ていた。休める日の一覧を書き留める。暫くしてかみさん帰る。
夕ご飯 ご飯(150g)、石狩鍋、野菜のソティ、順調に食べたが詰まり気味。少し閊えているが、受け入れるだけ少量ずつ食べる。半分以上食べたか、だが通ってない。しゃっくりが出る。茶を飲むと少し戻す。気分が悪くなりそうなので200メートルほど歩く。歩いて戻ると少しましか。尿検量時に排便を試みる。動いていそうでやはり出なかった。明日下剤か。
19:00 2本目投入。
TDr.、月曜日に検診して退院してから手術をする予定らしい?月曜日の結果次第?
何度も催すのでトイレに行くが相変わらず解消されない。
2月1日(木) 木の葉に雪、細かい雪(7時半頃)
2,3時間おきに尿量を記録、そのたびに大を試みる。出口近くに来ているかと紙で拭いて確かめるが色は何も付かない。こうした今でも便意を催している。
14時30分頃、尿意、便意でせわしい。今度の便意は手応えがあり、水面に映る肛門は膨らんでいる。少し出てきたので補助する。ポロリと1個、頑張ると2個目。1個目残りである。
14:40 ベッドに戻ると点滴、3本目。
YDr.来る。
便意との格闘。夜になって便意を催すたびにトイレに行かざるを得なくなる。時間をかけると少し出る。
便秘薬を持ってこなかった。
食べたものが完全に落ちていない。それだけで気分が悪い。残ったままだと誤嚥の可能性が高くなると思う。何とか通るようにする。ジュースが入った。
2月2日(金)晴後曇
朝、また便が・・・。まだ大きい、すんなり出ない。苦闘の領域だ。
朝食 パン半分弱、スープ半分、果物、牛乳、ヨーグルトは要らない。食べたリンゴが落ちていない。腹がぐるぐる痛みを感じる。
便秘薬昨夜忘れた、今持ってきた。一応貰っておく。すっきりしない、食道も肛門も。
横になってもすぐれない。午前中うとうとしてしまった。昼食が届く。食う気がしない。
食べなかった。検温後昼から朦朧とする。15時半頃コーヒーを仕入れに院内のコンビニ(ローソン)に行く。コーヒーは何となく落ちる。だがすっきり通過しているかどうかは怪しい。
眼鏡をかけた医師が来て食べたかと聞く。食べなかったと言えば栄養剤でもという。食べやすいようにしようかと言ってくれるが、今まで食べていたものがなぜ食べにくく、詰まり落ちないのかということが問題なのである。
主治医、先ほどの眼鏡の医師とともに現れる。
18:30 4本目投入。
夕食 豆腐、もやし少々、里芋1個、ご飯食べる気にならぬ。これだけなら詰まった感はなし。
2月1日(土)曇 金融クラッシュ?
詰まった感じ。ジュースも引っ掛かる。7時頃催すので頑張るとまともに出た。
食欲はゼロ。少し食べるが詰まった状態。T主治医と眼鏡の医師。「おもゆに換えるか」と。
11時頃、計尿の折、かなりの量の便が出る、やっと便秘が解消する。
うとうとする。
昼食みる気もせず。メニューに金目鯛ワイン煮だとか。少しせせる。それでも詰まった感じ。昨日のリンゴジュース、これも詰まり気味。便は軟便に変化した。
17:30 5本目投入。
食事は手を付けなかった。
2月4日(日)晴雲は西へ
2時頃便意を催すがほとんど出ず。鈍痛がする。
8時過ぎ牛乳を飲み終わって漸く便意。使用中なので待つ。しかしそろそろ行かねば、一番近くの外のトイレに行くもドアは閉まっている。病棟から出て行っていつものトイレ。瀬戸際でパンツを下ろせば水便。久しぶりの水便。かなり出る。やっと落ち着いた。
昼 おかゆ少し。
かみさん、娘と共にやってくる。少し居て退散する。
抗がん剤終了。利尿剤のみ点滴。
詰まる不快感解消しつつある。
2月5日(月)晴
5時頃採血、この結果で退院とか?交代した看護師、私への指示は何もないという。食欲とインフルエンザの恐れで退院は未定。
14時前、YDr.声かけ。
14時過ぎ栄養士来て食事についての提案する。
16時半頃、T主治医、明日か明後日退院という。
その後T主治医、来院検査予定表(CT、内視鏡検査)を持って現れる。明日退院決定。
2月6日(火)晴
誕生日を迎える。暖かい快適な世界から氷の世界へ。心してかからねば・・・。
第1回入院記了
YDr.が顔を出す。看護師はW。
2時過ぎに目覚める。小便は2時間に1度ぐらい。尿を全て取り検量器にかける。入れるのと取り出すのが自動ではない。便意が催すが出ず。これの繰り返しで便がこわばり益々出辛くなる。昨日の朝、ぼろぼろと丸い便が出たのが最後(それとも一昨日?)いくら息んでも手応えがない。
朝 丸パン2個、もやしのソティ、パイナップル、ヨーグルト、牛乳
少し詰まりかけたがこなす。
13:00 吐き気止め デキサート3.3mg 1mL 生塩100mL
○昨日のマルク検査の結果について
画面から黒い丸が描かれている、これは脂肪という。脂肪が多い骨髄液であるから「くたびれている」と判断しているという。腫瘍的なもの(がん細胞)は見られなかった。今の治療を進めることを推奨した。最終的な報告は、主治医に伝えるとのこと。
○この検査までの経緯
PET検査の結果から
癌として顕れたのは食道当該部、後は見られなかったが、別の医師が脊髄に小さな反応光があると指摘。主治医は他の部位から診てほとんどあり得ない、食道の当該部だけなら、ステージⅡ、若しくはⅢ。骨にみられるとすれば末期。ということで骨に癌があるかどうかのレントゲン(シンチグラフィ)をした。すると頭部の上がβアミロイドが集積している感じで黒く映っている。脊椎上部も真っ黒。痛くないかと尋ねる。骨に転移していれば大変な痛みらしい。で、骨髄液を採って調べるということになったのであった。
1月28日の骨髄液(腰の骨の髄から採取)の結果
マルク検査というらしい。1/30の報告で大丈夫だというが最終的な報告は主治医するということである。しかし、骨検査は頭骨、脊椎に反応している。一体これはどういうことか?骨髄液は反応しない、がん細胞がないということ。しかし、まだ断言できないようだ。臨床の経験的知見から判断を下せるはずだが・・・。どうもしない(できない)ようだ。PETの判定のとき、主治医はあり得ないと言ってのけた。が、念のためということで骨のレントゲン検査をした。今までPETに出ていない頭部の骨ががん細胞に冒されている。それに脊椎上部。明らかにがんであるはずだ。それで骨髄液を抜き取って精査した。それがマルク検査ということだった。「異常なし」と言いきれない検査担当の医師。また後でがんであったと言われてもどうしようもない。とりあえず「詰まり」を除去して貰う以外術はない。万一のことは、その後。
トイレで悶々として頑張ったが便りは来なかった。落胆して戻るとかみさんが来ていた。休める日の一覧を書き留める。暫くしてかみさん帰る。
夕ご飯 ご飯(150g)、石狩鍋、野菜のソティ、順調に食べたが詰まり気味。少し閊えているが、受け入れるだけ少量ずつ食べる。半分以上食べたか、だが通ってない。しゃっくりが出る。茶を飲むと少し戻す。気分が悪くなりそうなので200メートルほど歩く。歩いて戻ると少しましか。尿検量時に排便を試みる。動いていそうでやはり出なかった。明日下剤か。
19:00 2本目投入。
TDr.、月曜日に検診して退院してから手術をする予定らしい?月曜日の結果次第?
何度も催すのでトイレに行くが相変わらず解消されない。
2月1日(木) 木の葉に雪、細かい雪(7時半頃)
2,3時間おきに尿量を記録、そのたびに大を試みる。出口近くに来ているかと紙で拭いて確かめるが色は何も付かない。こうした今でも便意を催している。
14時30分頃、尿意、便意でせわしい。今度の便意は手応えがあり、水面に映る肛門は膨らんでいる。少し出てきたので補助する。ポロリと1個、頑張ると2個目。1個目残りである。
14:40 ベッドに戻ると点滴、3本目。
YDr.来る。
便意との格闘。夜になって便意を催すたびにトイレに行かざるを得なくなる。時間をかけると少し出る。
便秘薬を持ってこなかった。
食べたものが完全に落ちていない。それだけで気分が悪い。残ったままだと誤嚥の可能性が高くなると思う。何とか通るようにする。ジュースが入った。
2月2日(金)晴後曇
朝、また便が・・・。まだ大きい、すんなり出ない。苦闘の領域だ。
朝食 パン半分弱、スープ半分、果物、牛乳、ヨーグルトは要らない。食べたリンゴが落ちていない。腹がぐるぐる痛みを感じる。
便秘薬昨夜忘れた、今持ってきた。一応貰っておく。すっきりしない、食道も肛門も。
横になってもすぐれない。午前中うとうとしてしまった。昼食が届く。食う気がしない。
食べなかった。検温後昼から朦朧とする。15時半頃コーヒーを仕入れに院内のコンビニ(ローソン)に行く。コーヒーは何となく落ちる。だがすっきり通過しているかどうかは怪しい。
眼鏡をかけた医師が来て食べたかと聞く。食べなかったと言えば栄養剤でもという。食べやすいようにしようかと言ってくれるが、今まで食べていたものがなぜ食べにくく、詰まり落ちないのかということが問題なのである。
主治医、先ほどの眼鏡の医師とともに現れる。
18:30 4本目投入。
夕食 豆腐、もやし少々、里芋1個、ご飯食べる気にならぬ。これだけなら詰まった感はなし。
2月1日(土)曇 金融クラッシュ?
詰まった感じ。ジュースも引っ掛かる。7時頃催すので頑張るとまともに出た。
食欲はゼロ。少し食べるが詰まった状態。T主治医と眼鏡の医師。「おもゆに換えるか」と。
11時頃、計尿の折、かなりの量の便が出る、やっと便秘が解消する。
うとうとする。
昼食みる気もせず。メニューに金目鯛ワイン煮だとか。少しせせる。それでも詰まった感じ。昨日のリンゴジュース、これも詰まり気味。便は軟便に変化した。
17:30 5本目投入。
食事は手を付けなかった。
2月4日(日)晴雲は西へ
2時頃便意を催すがほとんど出ず。鈍痛がする。
8時過ぎ牛乳を飲み終わって漸く便意。使用中なので待つ。しかしそろそろ行かねば、一番近くの外のトイレに行くもドアは閉まっている。病棟から出て行っていつものトイレ。瀬戸際でパンツを下ろせば水便。久しぶりの水便。かなり出る。やっと落ち着いた。
昼 おかゆ少し。
かみさん、娘と共にやってくる。少し居て退散する。
抗がん剤終了。利尿剤のみ点滴。
詰まる不快感解消しつつある。
2月5日(月)晴
5時頃採血、この結果で退院とか?交代した看護師、私への指示は何もないという。食欲とインフルエンザの恐れで退院は未定。
14時前、YDr.声かけ。
14時過ぎ栄養士来て食事についての提案する。
16時半頃、T主治医、明日か明後日退院という。
その後T主治医、来院検査予定表(CT、内視鏡検査)を持って現れる。明日退院決定。
2月6日(火)晴
誕生日を迎える。暖かい快適な世界から氷の世界へ。心してかからねば・・・。
第1回入院記了
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