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石のつぶやき228 謹賀新年 [平成阿房伝]

1月1日(金)11


         謹賀新年 


    たらちねの母の名はうさ
                    赤紙で招集されし
                            従軍看護婦

 母は貧しい百姓の7人兄妹の長女(今は使いませんが)として生まれました。尋常小学校には、妹を負ぶって登校していました。そんな環境でも勉強したいという思いは捨てませんでした。頭のよかった(母の思い入れ)兄の影響でしょう。その敬愛する兄は志願兵として戦地を転戦しました。敗戦後、何の音沙汰もなく、戦友達の話からフィリピンでの「戦死」が確定されたのです。何の証左もありません。そんな兄の影響で母は金のかからない方法で、勉強できないかと考えました、日赤の看護婦がありました。わずかながらも給金も出るのです。自然、母はその道を選んだのでした。そして従軍看護婦として中国の野戦病院で働きました。招集されるときは、軍人と同じ赤紙でした。
 敗戦後も招集される態勢でありました。ただ赤紙が来なかっただけです、母には。
母は口を酸っぱくしていっておりました、「田畑は手放すな」、また敗戦後の食糧難は必ずやってくる、と。わたくしの両親は無理をしてわずかな田畑を手にしたのです。食べることの基本だと思っていたようです。それさえあれば、飢えをなんとか凌げるということです。その言や良し、攻めることができないのなら、護ること以外ないのです。
 ベランダ菜園、家庭菜園への道は当然ということになりましょう。わたくしが忌み嫌っていた百姓は単なる幻想でした。現実に戻らなければ、ちょっと先のにこにこした死に神の餌食にならざるを得ないのです。この暗い現実がやがて明るくなることはないにせよ、生き長らえる知恵はこのあたりとしてはどうだろうか。このように考えざるを得ない新年です。
                             2011年1月1日元旦

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