SSブログ

石のつぶやき450 いい結果になれば 東電事件 [平成阿房伝]

6月6日(水)12 共同通信


東電女性殺人、受刑者の家族来日 「今度こそ夫と帰国を」

 東京電力女性社員殺害事件で無期懲役となったネパール人ゴビンダ・プラサド・マイナリ受刑者(45)の家族が6日、再審請求について東京高裁の決定が出るのを前に来日した。成田空港で妻ラダさん(42)は「今度こそ夫を連れて帰りたい」と訴えた。高裁は再審を始めるかどうかの決定を7日に出す予定。ラダさんは「きっといい結果が出ると思う。夫は苦しみに耐えてきたが『心穏やかに迎えよう』と伝えたい」と笑顔を見せた。


ふたこと:わたしは残念ながら、「棄却」という判断を恐れている。これが日本の裁判制度なのである。日本には司法は存在しない。それは狭山事件を精査すれば明らかであろう。彼の場合も無期であった。まさしく自白による無理な証拠を積み重ねたことが明らかにもかかわらず、有罪を揺るがすことはなかった。この背景には少し前の幼児誘拐事件の、警察の失態があったといわれている。その後直近に起こった狭山事件、警察と司法の威信にかけた事件と位置づけられた。しょっ引いた犯人であろう人間を無罪にすることはできない。その結果が狭山事件の不幸を被告に招いた。どう考えても彼は無罪である。しかるに冤罪ははらされていない。  翻って今回の事件を見てみよう。被告と称される人物は、外国人である。一審無罪にもかかわらず、拘置された異常な事態を司法は敢行した。これがまず違法である。2審が無期なのだ。今のご時世、死刑の判断基準が二人殺したらという悲しい流れになっている。ひとりの場合は、よほどのことがなければ無期ということにはならない。思考停止の裁判官にその判断を誘導する「意志」がはたらいたと思わざるを得ない。  新しい証拠が出たとしても、無視することもできる。そんなこと今まで何度も繰り返してきた検察、何の躊躇もないであろう。小沢裁判で検察は嘘で塗り固めた証拠を何のためらいもなく提出して、有罪に持ち込んだ。その証拠がでっち上げであることが判明したにもかかわらず、その検察官が無罪の判決となった。で、何も咎められない(身内の処分だけだ)。にほんには、悲しいけれど司法はないのだ。ときの権力の思し召しなのだ。  その流れから見えてくるのは、検察権力の違法性を糊塗する自己保身である。それと同時に外国人であるということが、差別構造が、有罪に結びつく可能性も高い。司法の保身の結果は、有罪ということになる。  以上がわたくしの妄想に過ぎないということになれば、これ幸いといわざるを得ない。 
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。