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石のつぶやき696 名誉ある敗北を問題とする池澤夏樹 [平成阿房伝]

終わりと始まり                池澤夏樹
 
      名誉ある敗北
八月十五日が巡ってくる。
 一般には「終戦記念日」だが、公式の呼び方は「戦没者を追悼し平和を祈念する日」だそうだ。祝日ではない。  国民の大半にとってあの日は実感として戦争が終わった日だっただろう。形勢不利になってからも戦争は指導者の隠蔽と糊塗のうちに何年も続いた。爆撃の中を逃げ回った日々がようやく終わった、その安堵感は想像できる。
 では、二重橋前に座り込んで泣いた人々は何を思ったのか?
 安堵感と共に敗北感があったのではないか。スポーツでは正々堂々と戦えればいい、勝ち負けは二の次などと言うが、それは欺瞞。誰だって勝ちたいに決まっている。

 負けたことの悔しさ、恥辱の感情を日本人はどう始末したのだろう。空襲警報が鳴らなくなったから戦争が終わったことはわかった。次に小柄な昭和天皇と大きなマッカーサー元帥が並んだ写真を新聞で見て、国が負けたということを否応なく納得した。 
そして、そのことはなるべく早く忘れるようにした。

 昔から自然災害の多い国だったから、ひどい目に遭ってそれを忘れるのには慣れている。国内にいたものは忘れるようにしたし、遠い戦場から帰還した者は何も語らなかった。彼らは負けておめおめと戻ったのだ。言うことなどあるはずもない
 遠い戦場に送り出された作家・大岡昇平は晩年、芸術院会員に推挽されて「自分は捕虜になった身であるから」と言って断った。彼にとってそれは恥だった。日本人ぜんたいに対して彼はその恥を負って生き、旧日本軍の中枢に会った人々に対しては『レイテ戦記』などを通じて責任を追及した


 ではなぜ彼は病床にある昭和天皇について「おいたわしい」と言ったのだろう?旧日本軍の頂点にいた人物と見ればこのことばは出てこないはずだ。
 大岡昇平は昭和天皇をも恥を負った者として見ていたのではないか。その重苦に耐えて、冷戦における米ソの力関係が自分を在位のままに置いたからその責務を全うした。激動の人生だったが、死の床について一番の悔恨は、史上初めて夷狄に対する敗戦の天皇になったこと、先祖への申し訳のなさだった。大岡はそれを共有した。 戦争責任を問うことは大事である。どこで誰がどう間違ってあんな結果になったのか、そこに至る判断の一つ一つが検証されなければならない。数百万の日本の死者、数千万のアジアの死者に対する責任は史実を辿りなおすことによってしか償えない。

 その一方、恥辱の思いをどう扱って我々は今に至ったのか、それを考えることも必要ではないか。
 若い論客が卓見を述べている。『永続敗戦論』(太田出版)で白井聡は、日本人は「敗戦」をなかったことに対して「終戦」だけで歴史を作ってきたと言う。強いアメリカにはひたすら服従、弱い中国と韓国・北朝鮮に対しては強気で押し切る。その姿勢を経済力が支えてきた。彼が言う「永続敗戦」は戦後の歴史をうまく説明している。経済力の支えを失った今、我々はやっと事態を直視できるようになった。


 原点に返ってみよう。大野晋の『古典基礎語辞典』は「はぢ ハジ 【恥】名」を「自己の能力・身分・地位・経済状況・勝負・男女関係などにおいて劣っていることや失敗などを他者に知られることで生じる、名誉を喪失したと思う気持ちやその行為。また、その保つべき名誉を重んじる心。廉恥心」と定義する。
 ここに言う「保つべき名誉」を我々は回避してしまった。アメリカに負けたのは歴然としている。原爆投下はその象徴だった。だが、中国にだって負けたのだ。あれだけ長い間(十五年戦争という呼び方があるほど)戦って、最後には追い出された。 

罪は検証可能だ。古代の日本人は罪を汚れと見なして禊ぎによって無にできるとした(例えば『六月晦大祓』の祝詞)。しかし恥は洗い流せない。個々に負って生きていくしかない。昭和天皇も、国民も。また戦争をやって勝てばいいのだろうが、まさかね。
なぜそれができなかったのだろう?
福島第一の崩壊は東京電力という会社にとって究極の恥であったはずだ。しかし東電もちろん、一蓮托生でやってきた財界も自民党も恬然として恥じることを知らない。今から原発を海外に売るのは真珠湾の作戦計画を売るようなものだ。当初は勝っているように見えても最後には放射性廃棄物の山に埋もれて負ける。
これからの衰退の中で名誉ある敗北を認めることができるだろうか。安倍政権のふるまいと選挙の結果を見て思うのは、我々があまりにも欺瞞になれてしまったということである。
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