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石のつぶやき766 生活と生命の乖離、怒りを原動力に [平成阿房伝]

(インタビュー)「平和と繁栄」の後で シカゴ大名誉教授ノーマ・フィールドさん
3月1日(土)14 朝日新聞朝刊



「どん底まで突き落とされたら、かえって開き直れるのかなとも思います」
明日生きるために
      10年先の命顧みぬ
      逃げ場のない時代



 日本社会はどこへ行こうとしているのか。日米双方の心と言葉で語り続ける研究者は、胸を痛めていた。戦後の繁栄が過去のものとなり、さらに平和すら手放そうとしているのでは……。第2次大戦直後の東京で生まれ、米シカゴで暮らすノーマ・フィールドさんの目に映る日本の風景を、そっとのぞいた。

--二つの国の間で「宙づりになっている」と、著書「天皇の逝く国で」に書かれていますが、その日米両国の今をどう見ていますか。
 「米国生活が長くなりましたが、この国の政治のひどさが身に染みるようになりました。オバマ大統領に期待しただけ余計にそう感じます。日本も、米国流の格差社会に追いつけ、追い越せといわんばかりですね。日本社会がかろうじて残してきたものが壊されていると思うと、いたたまれません」

 --居場所がなくなるという感覚でしょうか。
 「いえ、そんなことはありません。同僚の大学教員たちは、ひどい政治家が大統領になったら米国を脱出するよ、などと言いますが、大学のあるシカゴののサウスサイドに住む貧困層の人たちは、国が嫌になったら国外に出る、なんてことはできない。逃げたくても逃げられない人たちがいるのです。余裕があるから『国を捨てる』などと言える。運命を共にするというと大げさですが、軽口はたたかないと決めました」
 「一方、日本は何年たっても『帰る』という感覚なんです。大切な人がたくさんいるから。でも、このままいくと、いずれ帰れなくなるという恐れも感じます。私は父親が米国人、母親が日本人の日本生まれで、国籍条項では米国籍しか得られなかった。今の状況が続くと、最悪の場合はビザがおりなくなることもあるように思えて

 --日本での原点は何ですか。
 「団塊の世代の66歳ですから、私の原体験は質素な日本なのですが、そこには戦争が終わった解放感が確かにありました。『めだかの学校』に歌われてるような、誰が生徒か先生か分からない、そんな空気です。空襲で防空壕(ごう)に逃げなくてもよくなったという喜びは、たびたび母に聞かされました。あの感覚が日本では次第に薄れているのを感じます

 --確かに、戦後的なものが急速に崩れてきています。
 「知人によると、日本のある小学校での講演で『平和』という言葉を使わないように言われたそうです。プロレタリア文学を研究していると戦前の伏せ字を扱いますが、戦前、戦中に平和は『××』とされたことが多かった。いまや、戦後と地続きではなくなったというか、敗戦直後に日本人が真剣に議論したことがゼロになりつつあるように思います。安倍首相も靖国参拝を強行しました。米国従属から一歩踏み出ようとしているのでしょうか。米国を中心とした考え方が良いとは思いませんが、大国の制止も気にしないような空気が漂いつつある。それは非常に怖いですね
 「いわゆる『普通の国』イコール戦争ができる国というなのでしょう。戦争になって最初に犠牲になるのは、若くて生活に困っている層だということは米国の歴史が証明しています。東京都知事選の結果からは、そんな若い人たちも『強い国』を主張する田母神俊雄さんに投票したように見えます。最初に戦場に出る若者が右傾化を支持する。それは、近代史の忌まわしいパターンの一つだと思います」
 --今の若者は「戦争を知らない子どもたち」ではなく、「戦後を知らない子どもたち」ですね。


 「戦後を知らないし、バブルの頃すら知らない世代です。自分たちに戦後民主主義と繁栄の恩恵がもたらされているとは感じられないのだと思います。細川護煕さんは都知事立候補の会見で『腹七分目の豊かさでよしとする成熟社会を』と語りました。就職できない若い人たちはこれをどう感じるだろうか、と日本の知人が心配していました。細川さんの考えが間違っているとは思いません。でもその言葉が届かない」
「2000年に発行した『祖母のくに』の中の論考で『繁栄感覚が希薄になったとき、その代わりに何が出てくるのか』と書きました。それがいよいよ現実となってきたのを感じます。まず繁栄がなくなり、そして平和すら犠牲にしようとする流れになっている8月15日に『平和と繁栄』とだけ唱え続けてきた欺瞞(ぎまん)はずっと気になっていましたが、今聞くと懐かしくすらあります

 --経済の衰退が人々の意識を変えていく、ということですか。
 「経済的に一番弱い立場に置かれる人は、自分の生命さえ犠牲にしないといけないようになります。私は『生活と生命の乖離(かいり)』と呼んでいますが、明日の生活のために5年先、10年先の命を顧みられなくなる。マイケル・ムーア監督の映画『シッコ』で、トニー・ベンという英国労働党の政治家がこう語っています。人が押しつぶされそうになっている状態というのは、支配層にとって、とても都合がいい、と。『戦争ができる国』にしようとしている政治家を若い世代が支持するのは、まさに生活と生命の乖離だと思います

 --「生活と生命の乖離」の例は、ほかにもありそうですね。
 「ええ、これは格差にあえぐ若い世代に限りません。広い意味では原発を誘致した地域や原発作業員にも当てはまる。生活のために自分の存在自体を懸けなければいけない構図はいたるところにあります。細川さんの文明論は、明日がどうなるか分からない人には、抽象的でぜいたくなものに聞こえたかもしれませんが、この乖離を乗り越えようと言っていたようにも思えます」
 「原発に反対しようとするなら、反対できない人々のことを考えなければいけないと思います。選択肢がない人は情報すら欲しくなくなる傾向があります。さらに心配の種になるからです。そういう意味では今後、現実を伝える言葉すらタブー視されるのではないでしょうか」

 --戦後の繁栄と平和を知らない世代に届く言葉を、どう紡ぎ出せばいいでしょうか。


 「都知事選では、宇都宮健児さんも若者の支持率が高かった。田母神さんと宇都宮さんの若い支持層は逆の方向を向いているように見えるけれど、実は同じ層から来ているのではないでしょうか。希望を託す先が違うだけで。この双方の若者層に、時代のしわ寄せをすべて負わされている『我々』という意識が生まれたら、可能性があるとも思います」
 小林多喜二は、『中央公論』で『党生活者』という作品を書いています。舞台は満州事変後で、軍事産業の景気が良くなり、工場がガスマスク製造を始めるために臨時工を雇います。戦争のために臨時工が職にありつき、一生懸命働いたら正社員になれるかも、と考えて働きます。そこで、運動家たちが臨時工と普通工の共闘を仕掛けようとするのです。劣悪な労働条件を改善すると同時に、臨時工の雇用をもたらす戦争にも反対しようとする。戦争が始まった状況で、それでもこんなことを目指していたのがすごい」
 「08年の『蟹工船』ブームの際には、物語を現代にあてはめても、非正規労働者と正社員は一緒に闘えないだろうと繰り返し指摘された。そこをどう橋渡しをするか。多喜二の作品でも結局は失敗しますが、その失敗を丁寧に描いている。だから次があると感じられます


         実感できない希望
         怒りを原動力に
         主体的に作り出せ


 --どこに希望を見ますか。
 「私は『希望派』ではないんです。自分が実感できない希望を、自分が信じていないものを、人に伝えることはできません。一方で、希望と聞くと、先日亡くなったフォーク歌手のピート・シーガーを連想します。シーガーは、決して諦めない人でした。どんな場で音楽を奏でても、聴衆との関係を作り上げ、全員を参加させる。体を使って模索する行為自体が希望だという気がします。結果よりプロセスを重視するということでしょうか
 
 --希望は見えにくいけれど、諦めない、と。
 「井上ひさしさんは多喜二を描いた戯曲『組曲虐殺』で『絶望するには、いい人が多すぎる、希望を持つには、悪いやつが多すぎる』というセリフを主人公に託しています。いとおしく思う人や譲れない理念があるからこそ、愛情と共に怒りが生まれる。私にとって怒りは原動力です。これほど人間を馬鹿にした政治を押し通すなんて、放っておけるものか、と考えています。希望とは、外にあって元気づけられるものではなく、主体的に作り上げるものではないですか」
 
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