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伝念入院記7 手術日決定 [伝念入院記]

手術日2018年4月11日(水曜)と決定

抗がん剤が効いて患部が小さくなった、手術ができると主治医が提案

2018年3月30日(金)通院
この日主治医が手術の説明書を提示 以下内容
 
 手術・観血的処置等に対する説明書

患者 阿呆伝念様の手術・観血的処置に関して、以下の通り説明しました。

1.現在の診断名と症状について
 胸部下部食道に約4㎝大の食道癌を認め狭窄をきたしています。食道癌は食道壁の一番内側の粘膜と呼ばれる場所から発生し、壁の深い方へと浸潤していきます。それと同時にリンパの流れや血流にのって周囲のリンパ節や他の臓器へと癌細胞が広がっていくといった特性を持っています。食道癌の治療成績や進行度は、深達度(食道壁のどの深さまで癌が浸潤しているか)およびリンパ節転移の広がり、転移している個数によってある程度決まってきます。現在のところ癌細胞の浸潤は食道壁の外膜にとどまっており、リンパ節の転移はありません。他臓器移転については、骨に転移を示唆する所見を認めています。

2.手術(処置)を選択する理由について
 食道癌があり、狭窄をきたしているため、手術により食べ物の通り道を確保する必要があります。食道癌に対する治療法として標準治療は手術、代替治療として化学療法、放射線治療があげられ、狭窄を解除する目的でも同様の治療が選択しに挙がります。現在のところ、手術による癌病巣切除と再建術が経口摂取改善に最もよい方法と考えられます。ただし、今回の手術は骨転移を疑う病変が存在しているので根治切除ではなく、経口摂取改善が目的です。また、通常は根治切除が不可能な場合はバイパス手術といって原発巣は切除せずに食べ物の通り道を橋渡しする手術が選択されますが、今回は病変が切除可能である事、原発が残っていることで出血や感染、窄孔、疼痛の原因となる可能性があるので原発巣は切除する方針とします。

3.他の治療法と手術(処置)をしなかった場合の結果について・セカンドオピニヨンについて     
放射線治療法、制癌剤による化学療法や免疫療法があります。化学放射線療法は約1ヶ月半の治療期間を要して、化学療法と放射線照射を行うものとなります。これにより癌が消滅する可能性もありますが、遺残する可能性もあります。また、癌は消えても狭窄が解除されない可能性もあります。腫瘍の完全消失率は約30ー70%前後といわれています。

4.手術(処置)の具体的方法について
 食道癌におけるリンパ節転移は胸腔内のみならず、頚部から腹部に至る比較的広い範囲にわたって認められるのが特徴です。従って、頚部から腹部に至る比較的広範なリンパ節の除去を行う必要があります。手術は右胸部から約1㎝の穴を4-5カ所あけて、その穴から鉗子を挿入し、手術を行います(胸腔鏡手術)。癒着や何らかの問題があり、胸腔鏡手術が困難であれば通常通りの開胸手術となります。まず胸部の手術を行い、腫瘍のある胸部食道を切除します。つぎに胸骨下縁から臍に至る腹部の正中で切開し、残胃とその周囲のリンパ節を切除し、回結腸(回腸と結腸)を授動します(消化管再建)。また、頚部にも横切開をおき、残った食道を誘導します。再建法は、回結腸を胸骨の後ろを通して頚部まで持ち上げ、残った食道と吻合します。

5.手術(処置)により期待される効果について
 原発巣が切除され経口摂取が可能となる経路ができます。

6.手術(処置)により起こりうる合併症とその頻度・危険性及び緊急時の処置について

食道癌の代表的な術後合併症としては以下のものがあげられます。

 ① 呼吸器合併症(約30%)
 全身麻酔の影響や術中肺を圧排すること、肺への神経が切離されることや郭清に伴い気管への血流が乏しくなることなどの影響により、肺の分泌物の増加や肺の拡張不良が起こります。これにともなって喀痰の排出不全や肺炎、胸水貯留などの合併症が起こりうる可能性が20%程度あります。このような合併症は術後4~5日目より10日目ぐらいにかけ認められるものです。肺は体内に酸素を運ぶといった重要な役割を担っているため、呼吸状態が悪化しないよう喀痰を排泄する目的で気管支鏡による頻回な喀痰吸引を行う必要がありますが、場合により気管支切開や人工呼吸管理をやむをえず行わなければならないこともありえます。

② 縫合不全、再建臓器壊死:10-30%
血流不全や、吻合部への緊張が高いことなどが原因となり、縫合不全が手術例の約10%に認められます。小さな漏れであれば絶食期間を2~3週間おくことでほぼ自然に治癒しますが、大きな漏れや感染をともなう場合、もしくは胃管の血流不全により壊死した場合には緊急に再手術、複数回の手術が必要となることも考えられます。

③ 反回神経麻痺:30%
声を出すための声帯の動きを司る反回神経は胸の上部から頚部にかけて走行していますが、この周囲には転移を起こしやすいリンパ節が存在し、確実に郭清する必要があります。この操作に伴い神経麻痺をきたす可能性が20%であります。その場合には声帯麻痺となり、声がかすれる、あるいは嚥外時に誤嚥する可能性があります。喀痰を吸引しやすいように頚部の気管に細い管を挿入したり、気管切開処置が必要となる場合があり、長期留置を要することもあります。

④ その他大小の合併症をあわせ、術後合併症をきたすうる可能性は約50%と、この手術は比較的襲の大きなものとなっています。手術に起因する合併症死は約3-4%です。

⑤ QOLの障害:食欲低下、食物の停滞、もしくは腹痛、下痢といった症状が起きてくることがあります。そのため、一回の食事摂取量を少なめにして、回数で補う必要が出てきます。食後の腹痛や下痢、気分不快といった症状は長期にわたり出現する可能性もあります。また体重も術後数年にわたりなかなか増えてくることができません。いずれの症状も術後一定の期間が経過すると、体が順応するため症状が軽くなりますが、その間は投薬や食事指導、特別な栄養管理が必要となることがあります。
⑥ 術後せん妄:食道切除に限らず、大きい手術を受けられる患者様は一時的に、奇異な行動や、発言をしたり、自分で点滴を抜いたり、腹部のドレーンを抜かれたりする場合があります。また看護師さんを呼ばずにひとりで歩こう年それが原因で転倒し、打撲や骨折をされる場合もあります。
⑦ 深部静脈血栓症:手術後は血液が固まりやすくなり、臥床が必要となることも相まって、血管内に血栓ができやすくなります。血栓が心臓や脳、肺などにながれていけば、心筋梗塞、脳梗塞などを発症します。

⑧ その他手術や麻酔に関連する、あるいは関連のしない予想外の事態が生じる可能性があります。
7.当診療科における成績について  各進行度別にみた生存率(術後各年毎において生存されて折られる確率)は以下の通りです。
  Stage0: 1年 100%    3年100%   5年 100%
StageⅠ:  1年 100%    3年84%  5年 84%
StageⅡ:  1年  96%    3年70%    5年 56%
  StageⅢ: 1年  69%    3年37%    5年 33%
StageⅣ:  1年  63%    3年25%    5年 17%

 なお、入院中に採取されました組織については病理専門医が、細胞については細胞診指導医が診断を行います。



説明した日時         30(2018)年3月30日 午前11時30分開始
               30(2018)年3月30日 午後12時10分終了

 また「説明書」には、合併症として縫合不全や肺炎などと書かれ、結果「敗血症、生命の危険」とはっきり書かれている。手術日が決まっていても撤回は出来るともいう、主治医は。
 わたくしは説明を聞いてこんな難しい手術をよくするなあという感想を漏らした。少しの失敗も許されない高度な手術と思えた。なるべく避けたいと思えた。そう言うと主治医は、大学病院としての役割は高度な手術を技術的に地域において最先端であるべきという立場が優先する。困難であるから避けるということは無いという。だが手術される者にとってはたまったものではない。少しの失敗は即死に結びつくのだ。わたくしでさえ、躊躇をおぼえる。しかし、いつか食道のバイパス手術が必要になるという。それなら早く今手術をしてしまうかという気に傾く。不安を抱えながらも手術に同意することにする。ということで、手術日が2018年4月11日(水曜)と決まった。


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伝念入院記6 2回目入院その2 末期? [伝念入院記]

3/9(金)晴
前回の入院の時と同じで便秘であるにもかかわらず、便意を催す。が、出る様子はない。昨晩下剤の効果と思い、頑張る。手応えがあった。軟便が後で出てくる。やっと便秘解消。今度は下痢に悩まされそうだ。
 21:00 4本目投入。
 阻喪始まる。
 韓国のトランプへの説明と、財務省の佐川処分と職員の自殺を、世界の大ニュースに隠れるように発表する。佐川の更迭は文書が出てから取りざたされていたが・・・。職員は自殺なのかどうか?ちがう力がはたらいた?


3/10(土)晴 外は寒そうだが病棟内は快適
 外は暖かそうに見えるが、現実は寒そうだ。
 尿を採るより便が先だ。採尿はやめる。パンツがいくつあっても足りない。
 朝目覚めると異常に喉が渇いている。電気毛布で喉が渇く以上のものであった。昨日茶を少し飲んだだけだ。コーヒーもジュースも飲む気はしなかった。主治医が3/14、かみさん同席の説明の設定を念押しする。かみさんにメールを入れる。
 17:30頃、3人やってくる。こんなところで家族一同相まみえる。
 ずっと下痢である。パンツを所望。
 20:50 5本目。今日で最後の抗がん剤。ついでに眠剤を入れられた。


3/11(日)晴
 20時、抗がん剤終了。下痢と出血。
 東北7年目か、汚染されたところには住めない、それが基本だ。


3/12(日)晴
 点滴終了、12:00。


3/13(火)晴天気良し
 小便が出ない、便も出ない、出血が止まらない。口内炎も出てきた。

3/14(水)天気良し
 すぐれない、小と大は相変わらず出ない。ガスが少し出るようになった。
 9時過ぎにレントゲン透視。食道は良く通るようになった。
 夕刻カンファレンス室で主治医から今までの経過と今後の方針を聞く。かみさん同席。
抗がん剤治療2クール終わった時点での主治医の結論。
骨転移もあり得るという最悪で考えると、末期ガン。様子を診ながら抗がん剤治療、放射線治療を行う。食道にバイパスが必要となることもある。ということだった。主治医は骨のレントゲン、シンチ検査の結果、頭部の上部と頸椎の骨転移に関しては疑問を持っているらしい。骨がんであれば痛みを伴うという。何の痛みも私は感じない。しかし、最悪のことで判断すれば、末期ということになると言う。わたくしはいきなり末期と言われても困ってしまった。


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伝念入院記5 2回目入院その1 食道が詰まってしまった [伝念入院記]


2021年1月24日(日)雨
 坂本龍一が直腸癌で手術した。6年前に中咽頭癌を患った。癌から生還したはずであったろう。渡哲也も直腸癌で肛門を拵えるという苦渋の選択をした。(文中敬称略)


食道に詰まったままで4日目を迎える
第2回目の入院

2018年2/25(日)曇
 2月16日の検査結果で、2/28入院と決まった。
 2月19日昼食に鶏の唐揚げを食べた。詰まっていることに気がつき、色々やってみたが解消しなかった。一晩寝れば大丈夫と思った。だが変わりなかった。吐いて何とかと思ってやっていると、シンクの吐瀉物をかみさんに咎められる。それも悪態をつかれて・・・。
 次の日もだめだった。22日になってこれはヤバい(この間飲まず食わず)と、通っている病院の看護師に何かよい方法はないか問い合わせすることにした。名も告げずに交換手に手短に事情を説明する。随分待たされ、相手がやっと出た。どういう訳か出てきたのは、主治医のT医師であった。とにかく出てこいという。病院に駆けつけて、レントゲンを受ける。詰まっている状態を確認し、主治医は詰まったものをチューブで何とか抜こうとしたがうまくいかなかった。それだけでくたくたになってしまった。即入院が決まる。16時に入院ということでいったん帰宅する。家に帰ってどっと疲れる。辛い。心臓が躍っている。少し動くだけでも辛い。かみさんに送って貰う。


胃ろうか、腸ろう
3/1(木)曇のち晴 放屁ばかり、便は下痢
 2月23日に麻酔を打って内視鏡。目覚めると何も変化はなかった。食道からのチューブ挿入は不首尾であった。で、26日にうまくいけば胃ろう、下手をすれば腸ろうということで手術。目を覚ますと痛いだけでどうなったか結果はすぐに分からなかった。結局胃ろうはできなく、腸ろうとなった。27日から配合経腸用液を入れる。ずっと入れっぱなし。痛み止めもかなり入れて貰った。

3/6(火)晴
 3月3日 かみさんと娘来る。
 こんなことがあった。 
かみさんに預けてあったカードで病院のATMから4万5,000円引き出す。かみさんに3万円手渡したと思っていた。昨日(3/5)手元の封筒を確かめると中には5,000円しか入っていなかった。1万円なくなったことになる。かみさんに4万円渡した記憶はない、落としたか・・・。念のためかみさんにメールする。そうこうしているうちにかみさんから連絡が入る。1万円多くかみさんの手に。思い違い・・・。いや、だから確かめていたはずだ。貴重品箱に入れる前に確かめなかった?かみさんに渡した封筒に3万円は確かめたのに・・・、と思い込んでいる。どうなっているのか、訳が分からない。思っていたことと現実が乖離している。確かに15,000円入っていたと確かめもしたと思っている。夢か現か、境が曖昧になってきている。彼女に1万円多く渡っているとの返事。わたくしの記憶は全て幻だった。錯覚だったのだ。というより強度の思い込みに支配されている。
現実はカードもかみさんに返していた。これはショックであった。
 20:00 1本目の抗がん剤開始

3/7(水)晴 曇って雨になるとか
 睡眠導入剤を23時頃入れて貰うが1時間半か2時間間隔の尿意には覚醒。3時以降は眠れず。8時半頃眠ってしまう。寝ぼけ眼でT主治医に対応。来週の水曜日辺りかみさんが同席できる日を設定して欲しいという。
 痛みはほとんど無くなった、手術以降10日目。
 15時頃、栄養剤を止める。それで暫く過ごす。栄養剤をなかなか持ってこないのでシャワーの空きを確認する。この時間帯しか空いていない。でももう15分ほど過ぎている。シャワーは諦めて、安倍の慰安婦発言を読み返す。従来の否定発言をできない状況に安倍は陥っている。アメリカがそれを認めないことを意味するのか?韓国は韓国内でそれが問題となるが、日本との外交交渉での見直しはしないという。問題は逼迫しているということだ。色々考えをめぐらしていると点滴の注射付近が濡れているような感じがする。気のせいかと思いながら本を読んでいると袖の先が冷たくなってきた。よく見ると濡れていて何かが漏れている。結合部から漏れているようで、やり直すと止まったようだ。なにがもれたか?入っている量からすれば利尿剤のほうか、あるいは抗がん剤か?抗がん剤は血管から漏れたら大変らしい。皮膚は大丈夫なのだろうか?
 点滴部を修繕する前にかみさんが面会に来ていた。昨日のメール、「詰まりものが取れた」ことが伝わっていなかった。「詰まりがとれた」ことは気分的によくない。腐敗したもの?が動いたということだろう。2週間近く腫瘍のところに留まっていたのだから、腐敗が進んでいたものと思われる。変なげっぷのようなものは、気分を非常に悪くした。話を中断して点滴の修復を行ったのだ。どうやら漏れは解消した。
 看護師がMRIの検査が入っているという。昨日からそのようなことが浮上していたらしいが、予定リストに載っていなかった。文句の一つも言いたかったが、頭部を撮り忘れたのだという。MRIは気が狂いそうな騒音である。2度と撮りたくなかったから文句の一つも言いたかったのである。21時、抗がん剤2本目。


3/8(木)曇のち雨
 点滴を4時間ストップするという。こちらの思い込みで外出できるものと思った。一時止めるのは腸ろうの栄養食。
シャワーの設定がなされた。髪の毛をいつも通り手で掬うと、毛は何の抵抗もなく手について抜けた。ぞっとする。ベッドには髪の毛があちこちに散らばった。あまりひどいのでガムテープで拾い集めた。抗がん剤治療を受けたら皆丸坊主にする理由が分かった。病院にある散髪屋は休みだった。退院してから散髪するっことにする。
 便が出ない。夕刻に緩やかな下剤を処方して貰う。
 腸ろうの挿入口の絆創膏を貼り替える。ウエットティッシューで代用する。これで一通り腸ろうの手当について学習した。退院して腸ろうをしなければならないのだ。その前に「腸ろう一式」の契約書にサインする。3割負担で17,250円/月。高いのか、安いのか想像もつかない。器具代のみ。
 22:30 3本目投入。

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伝念入院記4 第一回入院その2 食道癌末期? [伝念入院記]

1月31日(水)晴
 YDr.が顔を出す。看護師はW。
 2時過ぎに目覚める。小便は2時間に1度ぐらい。尿を全て取り検量器にかける。入れるのと取り出すのが自動ではない。便意が催すが出ず。これの繰り返しで便がこわばり益々出辛くなる。昨日の朝、ぼろぼろと丸い便が出たのが最後(それとも一昨日?)いくら息んでも手応えがない。
 朝 丸パン2個、もやしのソティ、パイナップル、ヨーグルト、牛乳
 少し詰まりかけたがこなす。
13:00 吐き気止め デキサート3.3mg 1mL 生塩100mL

○昨日のマルク検査の結果について
 画面から黒い丸が描かれている、これは脂肪という。脂肪が多い骨髄液であるから「くたびれている」と判断しているという。腫瘍的なもの(がん細胞)は見られなかった。今の治療を進めることを推奨した。最終的な報告は、主治医に伝えるとのこと。

○この検査までの経緯
 PET検査の結果から
 癌として顕れたのは食道当該部、後は見られなかったが、別の医師が脊髄に小さな反応光があると指摘。主治医は他の部位から診てほとんどあり得ない、食道の当該部だけなら、ステージⅡ、若しくはⅢ。骨にみられるとすれば末期。ということで骨に癌があるかどうかのレントゲン(シンチグラフィ)をした。すると頭部の上がβアミロイドが集積している感じで黒く映っている。脊椎上部も真っ黒。痛くないかと尋ねる。骨に転移していれば大変な痛みらしい。で、骨髄液を採って調べるということになったのであった。

 1月28日の骨髄液(腰の骨の髄から採取)の結果
 マルク検査というらしい。1/30の報告で大丈夫だというが最終的な報告は主治医するということである。しかし、骨検査は頭骨、脊椎に反応している。一体これはどういうことか?骨髄液は反応しない、がん細胞がないということ。しかし、まだ断言できないようだ。臨床の経験的知見から判断を下せるはずだが・・・。どうもしない(できない)ようだ。PETの判定のとき、主治医はあり得ないと言ってのけた。が、念のためということで骨のレントゲン検査をした。今までPETに出ていない頭部の骨ががん細胞に冒されている。それに脊椎上部。明らかにがんであるはずだ。それで骨髄液を抜き取って精査した。それがマルク検査ということだった。「異常なし」と言いきれない検査担当の医師。また後でがんであったと言われてもどうしようもない。とりあえず「詰まり」を除去して貰う以外術はない。万一のことは、その後。
 トイレで悶々として頑張ったが便りは来なかった。落胆して戻るとかみさんが来ていた。休める日の一覧を書き留める。暫くしてかみさん帰る。
 夕ご飯 ご飯(150g)、石狩鍋、野菜のソティ、順調に食べたが詰まり気味。少し閊えているが、受け入れるだけ少量ずつ食べる。半分以上食べたか、だが通ってない。しゃっくりが出る。茶を飲むと少し戻す。気分が悪くなりそうなので200メートルほど歩く。歩いて戻ると少しましか。尿検量時に排便を試みる。動いていそうでやはり出なかった。明日下剤か。
19:00 2本目投入。
 TDr.、月曜日に検診して退院してから手術をする予定らしい?月曜日の結果次第?
何度も催すのでトイレに行くが相変わらず解消されない。


2月1日(木) 木の葉に雪、細かい雪(7時半頃)
2,3時間おきに尿量を記録、そのたびに大を試みる。出口近くに来ているかと紙で拭いて確かめるが色は何も付かない。こうした今でも便意を催している。
14時30分頃、尿意、便意でせわしい。今度の便意は手応えがあり、水面に映る肛門は膨らんでいる。少し出てきたので補助する。ポロリと1個、頑張ると2個目。1個目残りである。
 14:40 ベッドに戻ると点滴、3本目。
 YDr.来る。
 便意との格闘。夜になって便意を催すたびにトイレに行かざるを得なくなる。時間をかけると少し出る。
 便秘薬を持ってこなかった。
 食べたものが完全に落ちていない。それだけで気分が悪い。残ったままだと誤嚥の可能性が高くなると思う。何とか通るようにする。ジュースが入った。


2月2日(金)晴後曇
 朝、また便が・・・。まだ大きい、すんなり出ない。苦闘の領域だ。
 朝食 パン半分弱、スープ半分、果物、牛乳、ヨーグルトは要らない。食べたリンゴが落ちていない。腹がぐるぐる痛みを感じる。
 便秘薬昨夜忘れた、今持ってきた。一応貰っておく。すっきりしない、食道も肛門も。
 横になってもすぐれない。午前中うとうとしてしまった。昼食が届く。食う気がしない。
食べなかった。検温後昼から朦朧とする。15時半頃コーヒーを仕入れに院内のコンビニ(ローソン)に行く。コーヒーは何となく落ちる。だがすっきり通過しているかどうかは怪しい。
 眼鏡をかけた医師が来て食べたかと聞く。食べなかったと言えば栄養剤でもという。食べやすいようにしようかと言ってくれるが、今まで食べていたものがなぜ食べにくく、詰まり落ちないのかということが問題なのである。
 主治医、先ほどの眼鏡の医師とともに現れる。
18:30 4本目投入。
 夕食 豆腐、もやし少々、里芋1個、ご飯食べる気にならぬ。これだけなら詰まった感はなし。


2月1日(土)曇  金融クラッシュ?
 詰まった感じ。ジュースも引っ掛かる。7時頃催すので頑張るとまともに出た。
 食欲はゼロ。少し食べるが詰まった状態。T主治医と眼鏡の医師。「おもゆに換えるか」と。
 11時頃、計尿の折、かなりの量の便が出る、やっと便秘が解消する。
 うとうとする。
 昼食みる気もせず。メニューに金目鯛ワイン煮だとか。少しせせる。それでも詰まった感じ。昨日のリンゴジュース、これも詰まり気味。便は軟便に変化した。
17:30 5本目投入。
 食事は手を付けなかった。


2月4日(日)晴雲は西へ
 2時頃便意を催すがほとんど出ず。鈍痛がする。
 8時過ぎ牛乳を飲み終わって漸く便意。使用中なので待つ。しかしそろそろ行かねば、一番近くの外のトイレに行くもドアは閉まっている。病棟から出て行っていつものトイレ。瀬戸際でパンツを下ろせば水便。久しぶりの水便。かなり出る。やっと落ち着いた。
 昼 おかゆ少し。
 かみさん、娘と共にやってくる。少し居て退散する。
 抗がん剤終了。利尿剤のみ点滴。
 詰まる不快感解消しつつある。


2月5日(月)晴
 5時頃採血、この結果で退院とか?交代した看護師、私への指示は何もないという。食欲とインフルエンザの恐れで退院は未定。
 14時前、YDr.声かけ。 
14時過ぎ栄養士来て食事についての提案する。
 16時半頃、T主治医、明日か明後日退院という。
 その後T主治医、来院検査予定表(CT、内視鏡検査)を持って現れる。明日退院決定。


2月6日(火)晴
 誕生日を迎える。暖かい快適な世界から氷の世界へ。心してかからねば・・・。

第1回入院記了


タグ:マルク検査
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伝念入院記3 第一回入院その1 抗がん剤治療始まる [伝念入院記]

2018年 1回目の入院
1月25日(木)晴
 10時頃出発。かみさんが付き添い。病棟に行くもまだ整わず。談話室で待機。しばらくして主治医T医師から話があると・・・。あまり良いことではない。1月22日のシンチグラフィ(骨シンチ)の結果の説明であった。前頭部、脊椎上部が黒くなっている。癌の転移であれば激痛を伴うらしい。癌のタンパク質成分が反応するという。前立腺癌の転移が骨に顕れやすいという。髄液を調べてみるという。
 耳鼻科受診、鼻からスコープ。
 レントゲン頭部照射。


1月26日(金)小雪ちらつく
 昼前に血液内科受診。しばらく待たされた。そして医師の掛け声「ヨーイショ」とともに骨髄液が抜かれる。この結果は1月30日。
 主治医T医師、抗がん剤治療を日曜日から始めると。
 かみさん、娘来る。昨日土曜日退院という話があったので確かめに来たのだ。抗がん剤1クールが終わると退院。


1月27日(土)雪降り注ぐ
 朝はパンとサラダ、それに果物、牛乳。詰まる。何とか通す。そして全部食べる。
 昼は順調に完食。天津風卵とじ、ブロッコリーサラダにご飯。
 夕食、魚の煮物、野菜サラダ、漬け物。野菜サラダを放り込んでよく噛んだ積もりが徐々に溜まったようだ。詰まってしまった。液体物をコップに吐く。2回繰り返すが通らず。戦意喪失。ジュースを無理矢理飲み込む。何とか通ったが食べる気はなくなった。
 T医師、月曜日から抗がん剤を始めると。表向きに主治医となっているY医師、挨拶代わりに表れる。


1月28日(日)曇時々雪
 朝はパン、ヨーグルト、ミカン、牛乳。
 昼食、憶えていない。
 夕食、ロールキャベツ、ダイコンと人参のしそドレッシング。のり。
 夕食は一度詰まる。時間をかけて何とか通す。時間が経ってから食べる。ロールキャベツは中身を少々。
 昼食後、T医師、明日から点滴と再度伝える。女医来たようだが内容は憶えていない。 4時前にかみさん来る。腕時計を持ってきて貰った。ケータイで時間は分かるのだが、一々開けなければならない。面倒なのだ。
 5時頃、息子、娘がかみさんを迎えに来た。家族一同が久方ぶりに会同した。自宅以外で揃うことは滅多になかった。それがわたくしとわたくし以外の家族との関係を示している。これ自体がストレスそのものである。家族との会話はほとんど無い。今回のことは私の不養生の極みということで一斉に非難される。


1月29日(月)曇のち晴後曇
 朝食 高野豆腐、サラダ、のり。順調に飲み込んだはずだが、溜まっている。粘度の高い液が出てくる。食べたものがあまり出てこない。少し負担が軽くなると通ったようだ。牛乳をしっかり飲む。
 今日から点滴がはじまる。シャワーを浴びた方がよいと思い、シャワーの予約をする。点滴を装着しているのでシャワーの前に防水を施して貰う。ナースステーションにいる看護師にお願いする。彼女は防水処置をしながら、私にどこかで教えていなかったかと聞く。そうだと答えるとS中で習ったという。O嬢。顔つきは全く憶えていないが話の内容にはしっかり記憶があった。昨日の看護師もK市から来ているといっていた。どこかで見えている可能性もあるなと思っていた矢先だった。

 昼、月見うどん、キュウリの酢の物。順調に食べるがまた詰まる。気をつけていたので少しは軽め。でもどっと疲れる。

 2時前に点滴はじまる。・ソルアセトF 500㎖  ・硫酸マグネシウム補正液 1mEq/㎖
薬剤師(二人)からFP療法について説明を受ける。とりあえず5日間。


1月30日(火)晴
 通常の点滴プラス 生理食塩水100㎖、ラックス注20㎖。
 体重測定 49.9㎏。体温 37.0℃
 10時30分 ソルデム3A 1L  硫酸マグネシウム 1Eq/mL 8mL
13時00分 生理食塩液 100mL アロキシ静注 0.75mg  デキサート注射用3.3mg/mL/管
 13時30分 クラッシュ済み プーロイメンド注150mg クラッシュ  生食「ヒカリ」50mL/

 14時45分 500mL/h シスプラチン50mg、10mg  テルモ生食注1L/B
 17時00分 マンニットールS注 300mL 5-FU 注 1000mg/20mg 生食注 500 mL/B
 18時30分 ソルデム3A  1000 mL
 21時00分 ソルデム3A  2000 mL

朝 食パン 薄いのが2枚 ジャム、バナナ、サラダ、ヨーグルト、牛乳。
 少し詰まる。何とか持ち堪える。
昼 里芋煮、湯葉 豆腐、かまぼこ、椎茸人参煮、ブロッコリー、サラダ、ジョア ほとんど詰まらず。
夜 オムレツ、インゲンソティー、サラダ少し詰まるも大丈夫だった。

血液内科、16時少し前に呼び出し。
 マルク検査の中間報告としては問題なし。最終報告は主治医に告知するという。「ただ髄液は元気じゃない。脂肪分が多い」(K医師)「多分栄養価、あまり食べられなかったことが原因?」ということらしい。そのまま治療することを勧める。まだ中間報告か、大丈夫らしいことが優勢、ひとまずOK .
 トイレから戻るとかみさんが来ていた。メールしょうと思っていたところ。今日のことを報告。FP療法がはじまった等伝える。

                                   

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伝念入院記2 検査、検査 [伝念入院記]

1月11日(木)晴
 予定通り医科大に行く。しばらく待たされてどういう立場の医師か知らねど問診を受け、手術する方法まで言われる。わたくしは食道狭窄であると思っていたが、内視鏡の結果で癌らしいと分かった。生検を待つまでもなく、端から手術なんだ、深刻なんだと感じた。担当の医者はいろいろな指示を出していた。後で分かったことであるが、この医者が消化器外科のトップだった。
 看護師に次の行き先をまとめた書類を受け取り、その通り動いていく。はじめにしたのが入院申し込み。その次に周術期管理チームというところに行く。麻酔科医、薬剤師、管理栄養士、看護師、歯科医とタッグを組む。初めて経験するものだ。それぞれ相談する予定が組まれた。検査の合間に済むように組んでくれた。そして入院に関する相談を終えて本日終了。


1月12日(金)曇
 手術部看護師と面談が14時。歯科医のチェックがその次。上の3本の歯のうち1本が歯周病だと。人工呼吸器をつけるのに緩い歯があれば危険なのでマウスピースを作るという。最後にCT検査。検査が終わったあと、消化器外科に寄るように伝言される。
 しばらく待って診察、というか今後の体制で、追加検査の指示。PET、内視鏡。前とは違う医師。PETは他にがんがあるかを確かめるという。ことによっては放射線治療も考慮しているという。対象が大きいので抗がん剤で小さくしてから手術になるという。
 帰ると歯科から電話。マウスピース、金曜日に出来具合を見るという。


1月16日(火)晴れ
 8時半に出る。バリウムによる胃のレントゲン。バリュウムが嫌で、健康診断でバリュウム検査を受けてこなかった。でも仕方ない。吐きそうになるが、量が少ないので何とか無事終える。
 薬剤師と面談。栄養士と面談。麻酔科医と面談。午前中に終わる。どこかで昼飯を食おうと思ったが、喰いたいものが見当たらない。洗車もする必要がある、あまりにも暖かい風も少ない洗車日和なのだ。帰宅することにする。洗車する。ずいぶん使わなかった洗剤を使う。
 夕食が通らなかった。夕食前に冷蔵庫に保管していた柿を食べたのだ。ビタミンCが足りないので補給しようと思ったのだ。食道を広げる試みとして、あまりかまずに飲み込んだ。それでもあまり違和感はなかった。夕食でチキンのシチューを食べていると、どんどん溜まっていく感じで落ちない。苦しくなる。吐こうとするも大して出ない。がんばって吐いたが、鈍痛は治まらない。3時間ほどして水を飲む。膨れる感覚がする。牛乳も飲む。すっと通らない。でも少しはましになったか。

1月17日(水)雨
 3時前に起きる。小便する。
 朝飯を食う。その前に水を飲む。詰まった感じはなかった。朝飯をよくかんで飲み込む。少しずつ食べるが、通った気がしない。食べるのを止めると、戻りやすく、ほとんど水分。そのうち食べたものが出てくる。また通らない。
 便意を催したので、下からも出すと良いことがあるかもと・・・。昨日のバリウムが出れば良いのだがと思いながら出していると、途中から白いものが出てきたこれで安心だ。でも最後まで白かったので少しは残っているかも・・・。
 しばらくしてコーヒーを飲む。これはすんなり通った。これは嬉しい。 
PETだ。2時の予定。早めに着いたので、公園の駐車場で一服。病院で直接受付へ行く。待合室に入ると5人ぐらい待っている。そこでも一番に呼ばれる。
 検査服に着替えて血糖値の測定。正常とのこと。次に点滴。押し込むだけだ。それから別の部屋に移り、リラックスタイム。50分。そこで持参した水を500ミリリットルほどを飲むことになっている。食道の通りがよいかどうか確かめながら飲む。順調だ。時間がきて排尿。
 検査室に入る。機械はCTと変わらない。身体を4カ所に区切って画像を撮る。一カ所5分か。2回あった。2回目は10分程度か。身体を動かせないのは苦痛だが、それほど耐えられないことはない。終わって機械のメーカーを尋ねると、GEだと返ってくる。ここのCTは、東芝だった。検査が終わっても20分ほどの緩和タイム。検査後の注意事項に検査のあと人の多いところに行かない、子ども等の接触をなるべく避けるとある。かなりの被曝量なんだということ。
「 PETで使われるフッ素18 (18F と書きます)の半減期、放射能が半分に減る放射線物質の寿命は110分、炭素11 (11C と書きます)の半減期は20分と大変短いのが特徴です。このため、ひばく線量も低く抑えられ、全身のひばく線量は2.2~3.5ミリシーベルトといわれています。つまり1年間の自然放射線量と同等から2倍程度です。PET-CT検査ではCTによるひばくが加算され、2~3倍になりますが、それでも人体には全く害のない、自然放射線レベルのひばく線量です。他の検査、胃の透視やCT検査などとも、大差ありません。」(国立国際医療病院)
あとの問題は検査料。3万円以下だった、よかった。
 どこかで飯でも食おうかとも思ったが、面倒なのでまっすぐ帰ることにする。腹が空いているので昨日受け付けなかったシチューを食べる。すんなり入る。


1月18日(木)晴
 少し早めに着くと思ったが、予定時間通り。受付を済ませて待合室に行くと5,6人がすでに待っている。座ってすぐに呼ばれる。
 少し白く濁った液を飲まされる。そして麻酔の噴霧5回、5分口に留める。時間がきて口をゆすぐ。検査室へ。
 カメラ部分を嚥下するのが困難でかなり苦しかった。今まで一番苦しかった。かなり強引に入れるからだろう。その分看護師が身体を擦ってくれる。かなり着色液を流し込む。小さな鼻から入れる内視鏡で口から入れて、今度は3カ所生検用のサンプルを採る。
 終わって画像の説明を聞く。1カ所は診療所で観たものと同じ。ただ塞がるほどになっていた。通りが悪いと分かるほどだ。大きさや堅さが影響するほどになってきている。
 問題はその上に小さなものがたくさん変色して見える。これは大きいがんになるという。前の1カ所だけなら、腹腔鏡手術ということもあるが、この状態では分からない。どうするかあとの判断となるという。検査費用1万円あまり。
 昼飯を食うことを考えたが面倒になった。ホームセンターで光に反射するテープかその類いのものを手に入れる。クルマを駐車するときに後ろの景色がわかりにくいのだ、特に夜は。で試験的に買ってみた。
 母屋の離れの雨漏り対策に波板のトタンを被せてみた。効果があるか確かめるとだいぶましのようだ。他のところが漏れていた。


1月19日(金)晴
 8時半頃家を出る。9時10分前に病院に到着。歯科医の待合で詰め碁の本を読むまでもなく、呼ばれる。マウスピースの装着を試みる。最初歯肉にあたって痛い。少し動かしてくれる、きっちり収まった。これをして手術に望む。丁寧な措置である。万一歯が抜けて落ちたら大変なことになるという。歯科はすぐに終わった。
 いよいよわたくしの命の選択がなされる。予約の時間に1時間以上ある。詰め碁の練習本をかなりこなしていく。少々飽きかけたところで時計を見ると予約時間に迫っていた。担当の医師の部屋からひとり出てきた。しばらくして呼ばれる。録音機を入れて臨む。
 結論は出なかった。PETでの結果、骨(脊椎)の2カ所に小さく光っている部分があると他の医者が言う。もしそれがガンであれば末期、そうでなければⅡ、Ⅲ期の進行性ガン、その場合は手術。前者の場合は抗がん剤治療のみ、後者も抗がん剤で腫瘍を小さくしてから手術。いずれにしても入院ということになる。医者が入院日を指定。来週の水曜日か、木曜日。なんだかんだ言いながら、結局25日に決定。その前の月曜日。骨にガンがあるかの検査をする。核医学検査(骨シンチグラフィ)という。4,5時間かかる検査らしい。その結果で運命が決まる。ただPETでは他の部位にガンが見つからなかった。心配していた肝臓にもガンはなかった。もし脊椎にガンがあればどこかの部位にも顕れようというものだがそれはわからない。検査するしかない。
 保険限度額の申請をする。何とか木曜日までに間に合わせると支所の係は言う。
 友人のおふくろさんの供養を仕入れる。1月1日に亡くなったという。92歳。夜、彼の店に行く予定だったがお参りが先だということと、今晩家族に話しておかねばならないと思って夜出かけるのを止める。頼んでおいた保証人を、書類に記入してもらうことにした。12時半頃に着く。眠そうな彼に書類の記入を頼む。おふくろさんの供養をする。
 どこかで飯でもと思うが、結論は出ず。スーパーで少し買って帰る。
 かみさんが帰ってきて今までの経緯を話す。
 珍しく息子たちが7時過ぎに帰ってきた。晩ご飯を食べたあと、今回のことを話す。今までの生活だったら当たり前だと非難囂々。いつものことだ。


1月20日(土)晴
 昼から息子に伝えておくべきこと、前々からきちんと言わなければならなかったことを伝える。消えた水路のこと、復活せよと言われたらどこをどうするか、何しろ水路は国のものだから。重要書類の入っているのはどこか。それから家のメンテナンス等々。取りあえず話すことは言っておいた。あとはその都度聞けばよいと・・・。
 禁煙する予定だったが、仕入れてしまった。何と意志の薄弱なことか。酒は全く飲む気にもならない。これが不思議だ。一口飲めばまた復活しそうなので極力飲まないでおく。でも入院前に一口飲んでもよいだろう。あと、飲もうと思っても飲めない。


1月21日(日)曇
 朝いつものようにいつものように朝食を摂る。
 昼飯にミートソースもどきを作る。食べるが途中で詰まりだした。吐きだした。いつまでも通らない。ほとんど出したようだ。それでも苦しく、吐く唾をためて何回も吐きに行くのを我慢していた。ちょっとした弾みで、それが気管に入った。咳き込んで咳き込んで大変だった。肺炎になるかもしれない、焦った。しかし5時頃まで食道は落ち着かなかった。やっと水分が飲めるようになった。よかった。今回が最悪だった。ほとんど吐いていた。もちろん食べたものは出なくなったが、唾液のようなものがすぐに溜まるのだ。それを吐くことの繰り返しだった。


1月22日(月)曇のち雪、雨に
 シンチ検査。8時半に出る。受付を済ませると、すぐに注射。4時間待ち。飲食しても何でも好きなように過ごせと言う。1時前に来るように言われる。行くところがないので帰宅して新聞を読んだりニュースを見たりして過ごす。朝飯はすんなり収まった。昨日までの残り物を少し食う。何の問題もない。昨日のことは嘘みたいだ。12時半に病院に向かう。1時前の到着。すぐに検査室へ。検査の前に小便をしてくれと。戻って金属類のものを外す。CTやPETと違い、箱形である。撮り方は同じ。30分以上、40分近くかかる。結果を問うが、細部に亘って画像を作成するのでそれまで詳しい結果は分からないという。機械はGE製。
 帰りに靴下とパッチを仕入れる。雪がよく降る。店から出ると雨に変わっていた。コーヒーを飲みに寄ろうかとも思ったが、面倒なので帰る。コンビニで1月分の国保料を支払う。ついでにタバコ仕入れる。このタバコが最後になろう。


  検査料金 科目    料金
 ・1月5日    医院 受診      850
・1月5日    診療所 受診   850
・1月10日   診療所 内視鏡検査  8430
・1月11日   医大 診察及び検査    ?
・1月12日   医大  歯口 5400
   〃    〃   CT検査 9110
・1月16日     〃  バリウム・レントゲ ン 2940
・ 〃     〃   麻酔科 780
・1月17日    〃  PET 24780
 ・1月18日     〃 内視鏡 10150
 ・1月19日     〃   歯口 230
   〃    〃 消化器外科受診 220
 ・1月22日 〃 骨シンチグラフィ 13600
計 77340
(3割負担料金)



タグ:pet シンチ
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伝念入院記1 癌再発 [伝念入院記]

1月6日(水)晴   2021年
 4年前の今頃だったろうか、わたくしはふと思った。何年生きられるのだろうかと。2002年6月に胃の三分の二を切除している。それから15年経過している。癌の再発はもうないだろうと不遜にも思った。以前は死んだ人が何の癌で死亡したのか、読み取っていたのだがそれもしなくなっていた。癌はわたくしにとって遠い存在のように思うようになっていた。

2018年
1月5日(金)晴
 朝飯を食べると詰まってしまった。今まで毎日詰まってむせるが、飲み込めていた。酒は止めよう止めようと思いながら今日まで来た。医院が開くまで待って早めに出かける。1年以上来ていない。内視鏡は出来るものと思っていたが、やってないという。知り合いの医院に電話をかけてくれるが休院らしい。仕方ないので今までいっていた近くの診療所に電話する。とにかく診察を受けて欲しいという。
 何故その診療所に行かなくなったかというと、主治医が気にくわなくなったからだ。5,6年前に遡る。仕事に必要な健康診断書を求めたら、高血圧であるとか、肝臓がよくないとか書かざるを得ないという。それでは仕事できなくなるので何とかしてくれ(要するに所見で働けると書けばよいだけのこと)というても嘘は書けないという。今まで信頼してきたのがいっぺんに吹き飛んだのである。自己保身だけの輩であると。それでそこには行かなくなったが、降圧剤を仕入れるのにまた行かざるを得なくなった。前の勤務先の医院でもらっていたのが、仕事先が変わって近くでもらうことにした。例の医師のいない曜日にもらっていたが、恩師の息子さんがやっている医院があるのが分かってそこで薬をもらうことにした。それが上に述べた医院である。
 診療所に行き、久しぶりに避けていた医師に会った。内視鏡検査をいうと、耳鼻咽喉科の方がよいとかいう。その言いには引っかかりがあった。こちらは黙っていた。水曜日は内視鏡をやるらしい。医者が水曜日はと、看護師に聞く。1件入っているという。11時に入れようということになった。


1月10日(水)晴
 11時前に診療所に行く。診療の合間にするのであるから待たされる。内視鏡などの検査器具は洗浄が一番肝要であるが、その意識が日本ではどこまであるか気がかりである。器具から感染する。今日2番手である、心配であるが任せるしかない。
 やはりというか飲み込みづらい。いつもなら大丈夫、問題ないですねということだったが今日は違った。ワイヤーを挿入して皮膚の一部を培養液に入れた。3カ所取った。画面を見てみると食道の下部に入るところが一部白くうつっている。あきらかに他のところと違う。これが嚥下を妨げていたのだ。内径の三分の一近くを占めている。堅くなっているそうである。
 あとの画像判断で、「あきませんか」と問えば、よくないでしょうと返ってくる。どこの病院に予約しましょうかときた。市民病院で、わたくしの父は殺され、恩師も殺された。わたくしも前の手術のとき癒着してしまって、その後腸閉塞となった。2回も手術しなければならなかった。選択の余地はなかった。医科大にするしかない。じゃ予約するから連絡先をということになった。混んでいるところだから先になるだろうと見込んでいた。
 ところが帰宅して1時間もしないうちに診療所から連絡が入り、明日の9時の予約となったというのである。紹介状を夜の診療時間に取りに来るように指示された。これはよくないことの証。
 次の日から検査検査の毎日が続く。

タグ:食道癌
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