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石のつぶやき731 怒りはどこへ行った 池澤夏樹 [平成阿房伝]

11月5日(火)13  朝日新聞夕刊

終わりと始まり            池澤夏樹
    怒りはどこへ行った


   社会主義を捨てるか

 かつては社会主義を信じていた。
 社会は人間の知的な努力によってよくなると信じる。今あるこの社会は仮のもの、これを改善してもっと住みやすい人々が幸福に暮らせるところにできると信じる。貧困や差別や戦争などの社会的な理由にいる不幸を減らすことを目指す。
 社会主義を標榜(ひょうぼう)するソ連が崩壊した時、これはどういうことかと考えた。彼らは、人間は働くという前提の上に国を作った。利によって釣らなくても、国民は社会のために全力を出して働く(はず)。昇級やボーナスではなくノルマで働く(はず)。しかし、それは人間というものを過度に理想化した考えであり、だから社会主義経済は成り立たなかった。誰にでも金持ちになる機会があるというアメリカ式の幻想の方が人を働かせる効果があった。
 しかし利で釣る方式をいくら合理化しても理想の社会は生まれない。利と理想は互いに排除しあうから。
 革命という言葉に魅力があった。矛盾が行き詰まった時、すべてを一気に変える。しかし信頼できるリーダーは現実にはいない。つまり革命は理念でしかない。学生運動に関わらなかったのは集団で何かをすることが性に合わなかったからだ。六十年安保闘争は敗北に終わり、連合赤軍は醜態をさらし、オウム真理教は理想主義を破壊した。
 

 ヒトという種は知力によって環境を自分たちに合うように作り替え、文明を築き、個体数にして数十億まで栄えた。自然に対しては知力による制覇は可能だったけれども、お互い同士の仲について知力ないし理性はどうも有効でないらしい。我々は自滅の危機に瀕(ひん)しているように見える。
 若い者が無責任なのは当然。今ある社会を作ったのは上の世代だから責任はない。やり方が悪いからこんなになったので、自分たちならばもっとうまくやれるとついつい思う。そして理想主義に走る。言いたい放題。
 しかし、戦後が終わって日本の社会が豊かになった頃から、若い者は理想主義と縁を切って現実的になった。島田雅彦が「サヨク」と片仮名で読んで以来、サヨクは戯画の中に押し込められた(右翼は最初から滑稽だったけれど)。自分たちは政治でも経済でも実権を持っていないから理想を語れるという、若い者と同じ「進歩的文化人」意識の終焉(しゅうえん)。何でも反対という万年野党の終焉
 今、一九七五年生まれの中島岳志が『「リベラル保守」宣言』を唱える(新潮社刊)。 エドモンド・パークと福田恒存と西部邁と佐伯啓思の継承者。
 彼は保守として「人間の不完全性や能力の限界」を直視し、「不完全な人間が構成する社会は、不完全なままに推移せざるを得ないという諦念(ていねん)を共有し」、その結果「特定の人間によって構想された政治イデオロギーよりも、歴史の風雪に耐えた制度や良識に依拠し、理性を超えた宗教的価値を重視」すると言う。
 その上で、さまざまな思想や信条・信仰の持ち主が互いに寛容であること、それぞれに異なる道を辿っても目指す理想は一つであることをリベラルの定義として、保守とリベラルは接続可能だと宣言する。
 血気に逸る(はやる)こと、熱狂と狂信、性急な改革、排他性、などを退ける。これまでに築いてきたものを破壊することなく、その継承の上に次の段階を落ち着いて構築する。成熟した理性を信じる。
 この宣言を前にして考え込んだ。
 ロマン主義とは、ヨーロッパ中で勃発し、やがて自滅した革命の「解放」の原理を崇高化したもの、とスタンダールは言った
 フランス革命の後の王党派の反動に対する文化の側の憤りがロマン主義を育てた。ベートーベンにあってバッハにないもの。粗雑で、野蛮で、たった一歩でも横に寄った位置から見れば滑稽に見える。だから例えば吉田健一は十九世紀のヨーロッパを否定した。
 保守にしてリベラルにして寛容。  いいかもしれないが、そこに欠落しているのは怒りだ


 目前のあまりの不正と矛盾に対する抑えようのない怒り。それは正に感情の動きであって理性では制御できない。自分の無力がわかっている分だけ苛立ちが募る。内部で圧力が高まると一気逆転を夢見るようになる。スタート地点ではテロリズムかもしれない。過激なデモかもしれない。それが国家的な範囲まで広まると革命になる。先の絵図が描けないままの転覆。例を挙げれば今のエジプト。
 だが、化け物のような国際資本に吸血される貧しい国々を思うと、あるいは浮かれる自民党政権とこの国の格差拡大や最下層の困窮を思うと、怒りもまた自分の中の大事な資質であると気づかざるを得ないのだ。
 もうしばらく社会主義者でいることにしよう。


ふたこと:然り。ではどうしよう?国会にデモをかけよう。                    
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