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石のつぶやき768 インフルエンザにかかってしもうた [平成阿房伝]

3月21日(金)14


     ここ何年か、インフルエンザにはならなかったのに・・・

前のいつにインフルエンザにかかったのか、覚えてもいない。ところが今年の今になって、かかってしまったのだ。11日にクルマで同僚に最寄りの駅まで送ってもらった。次の日のことを考えると、なんとなく行く気がしないので同僚に休むかもしれないと伝えておいた。起きる気もなく、休むことにした。
 次の日、職場に行くとその同僚は休んでいる。そのときはインフルエンザとは知らなかった。その日は会議が入っていた。全くやる値のしないものにもかかわらず、強行される。仕事がいっぱいある。いつできるんだという憤りだけが残る。唯々諾々。羊の群れではないか。そのとき、咳を前からしていた同僚の隣。なんとなくのど元が怪しくなってきた。それでも何の変化もなかった。
 次の日、出勤すると昨日の同僚は休んでいる。そこで初めて彼女がインフルエンザにかかっていることを知る。さらに一昨日休んでいた彼女もインフルエンザ。やばいと思いながらも仕事をこなす。仕事が3月まで、次はないのに、仕事が残せないのだ。必ず担当者がしなければならないからだ。とにかく目一杯の仕事量をこなしていく。後は来週に仕上げを残すだけとする。その日酒を飲んで帰る。
翌日15日、喉が猛烈に痛く、咳をするととんでもない。熱は容赦なく上がってきた。寝ているしかない。とりあえず市販の感冒薬を飲む。少しはましだ。
 でも体温は上昇していく。38.7℃まで上がる。私の平熱は、35.1℃。もう寝ているしかない。食欲はなし。水分だけをとる。そんな状態が次の日も続く。緊急病院以外、選択の余地がない。そこは頑張って近くの診療所が開く17日まで待つ。
 息子に診療所まで送ってもらう。時間を見計らっていったので患者はいない。一人の患者の後、私の番となった。初めての医者だった。こちらからインフルエンザといっている、どう考えてもそうだろう。彼がしたことは、体温を測ること、そして今までの流れを聞くことだった。そして胸部の音を聞く。後は・・・。鼻の粘液をとれば、インフルエンザの型が分かるという、それには通常8分かかるそうだ。それを終わって結果を待つだけだ。 また待合室に戻る。即刻呼び出される。「B型」と判定される。薬はリレンザ、それに咳止め。解熱剤をと医者は言うが、熱は分かる方がいいといなす。リレンザは飲み薬でもなく、吸入薬という。訳の分からぬ構造物で、何でこのようにして吸飲しなくてはならないかの説明は一切なかった、グラクソ・スミスクライン製薬。タミフル、リレンザと念仏のように言われた時代もあった。タミフルが負けたのだろうか?
 ひたすら床につく時間を過ごす。夢か現か、ろくな夢しか見ない。
 吸入のあの薬、実際に肺に入ったかも分からない。手応えがない。何故飲み薬ではないのだ。これは異常なドラッグだ。普通薬は飲んでなんぼのものだ。これは常識の範疇だが、薬を効率よく効かすには、どこから入れるかということだ。血液に注入するのが一番効果的なのだ。麻薬もそうだ。その麻薬といえば、鼻から吸い込むのもあるそうだ。このリレンザは口から吸入する。何ともまどろこしい。吸飲できたかどうかも分からない。せっかくの高価な薬が、本当に吸い込んでいるのかと心配になる。こんな薬は御免こうむる。
 20日になって、朝起きると汗水を大量にかいている。やっと熱が出たのを感じた。咳のひどいのは相変わらずだ。やっと起き出す。でもまた寝る。でもこのインフル煉獄からは、脱出できたようだ。
 人類の知恵がワクチンなら、ワクチンは受けた方が賢明だと・・・
インフルエンザとは、つき合いたくはないですね。
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狂牛病(BSE)情報1104 ギリシャで2頭の狂牛病 [平成阿房伝]

3月11日(火)14   by Nikoleta Kaimouki Greek Reporter


     ギリシャ中央部で2頭の狂牛病発見


ギリシャで狂牛病が10年ぶりに狂牛病が発生。2頭の新しい狂牛病の発見で、ギリシャ当局はFthiotidaにある農場を隔離した。

 今回の2例の牛スポンジ状脳症(BSE)は、オランダから輸入された2頭の死んだ乳牛から検出された。6歳ぐらいと推定されている。農業省は農場は閉鎖され、さらなる検査が課題であるという。

 牛海綿状脳症は一般的に狂牛病と呼ばれ、家畜の致命的な病気(脳症)である。動物のの中枢神経にダメージを与えるBSEは肉骨粉で飼育した結果であり、抗生物質、ホルモン、殺虫剤、肥料、タンパク質の補助剤などを原料とした飼料も同様である。BSEは汚染された牛の肉を食べればヒトに感染する。特に神経細胞が含まれていればなおさらである。ヒトの病気である変異型クロイツフェルトヤコブ病vCJD)とBSEは関連性がある。

 この病気はイギリスで1980年代に最初に発見された。生産コストを下げるために畜産資源再利用システムとして動物由来の飼料を使い始めた。最初の狂牛病は1985年にあらわれた。ところが狂牛病の確定は18ヶ月後の1986年11月であった。


ひとこと:オランダから輸入した時点で既に感染していたのか、ギリシャで感染したのか、それが一番かんじんなことだ。「非定型の狂牛病」であるとは言っていない。更なる検査すればはっきりする。イギリスで最初の狂牛病が公式に確認されたのは、発見されて18ヶ月後であったという。その間イギリスの人々は牛肉を食べ続けたのである、怖ろしい。
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石のつぶやき767 安倍首相も否定できない「河野談話」 [平成阿房伝]

2月28日(金)14     東京新聞朝刊


慰安婦証言検証に疑問 村山元首相「軍関与明らか」




 村山富市元首相は二十七日、日本記者クラブで記者会見し、従軍慰安婦問題をめぐり、旧日本軍の関与と強制性を認めた河野洋平官房長官談話について「軍も政府も関係して慰安所をつくった経緯は明らか強制性の事実はなかったと言って意味があるのか」と、元慰安婦の証言内容を検証する意向を示す政府に疑問を呈した
 村山氏は、河野談話作成の経緯について「慰安婦から聞き取りし、政府関係資料などを調べて総合的につくった」と説明し、妥当だとの考えを示した。
 日本の過去の植民地支配と侵略を認めた自身の村山談話については「国際的な約束事になっている。否定するのは無理。(安倍晋三)首相も否定していない」と述べた。
 安倍政権の下での日韓関係の悪化については「首脳同士が会うのは簡単ではない。事務レベルで地道な話を積み上げるべきだ」と指摘した。


ふたこと:安倍首相が河野談話を前政権下で妥当としている。認めざるを得なかった。河野談話は国際的に広く浸透しているものであって、それを検証すべきだというたわけごとは、あり得ない話なのだ。「従軍慰安婦」問題は、日本国家が直接関わったことを認めながら、国家として謝罪しないで、賠償もしなかったことが問題なのだ。「善意の基金」で賠償の形を作った。元「従軍慰安婦」がそれを認めなかったことが、日本政府の責任回避を見透かしただけの話。被害を被った人たちはいまだに釈然としていない。
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狂牛病(BSE)情報1103 米で38歳女性 狂牛病で亡くなる!? [平成阿房伝]

3月8日(土)14 By SAM WEBB  Mail Online


    アメリカの四人の子どもの母、ただの咳とめまいに始まっためったにないヒトの狂牛病で死亡、発病して4ヶ月であった。

 ・ Sandi Kennedy38歳は咳とめまいによる病気に11月にかかった。
 多くの人々に愛された看護士は月曜日、CJDで亡くなった。
 ・ CJDは大変まれでアメリカでは100万人に一人がかかる。

4人の子供をもつメイン州の母は、めったにないヒトの狂牛病で死んだ。
 Knnebunkの町に住むSndi Kennedyは11月、最初咳とめまいが症状として表れた。症状は急激に悪化して、医者は心身症やガンの多くの検査をして彼女に何が起きているのかを見つけようと必死になった。

 クリスマスイブまでに、38歳の看護士(であると共に、9歳、5歳の双子、2歳の子どもがいる)が脳梗塞とよく似た症状で入院した。

 先月彼女はCJDと診断された。その病気は脳を攻撃し、治ることはない。アメリカでは、100万人に1人の割合で発生する。

 彼女は月曜日、亡くなった。


ひとこと:ヒトの狂牛病としているが、100万人に一人という病気は、sporadic CJDをさしている。けれど年齢などを考慮すればヒトの狂牛病、vCJDということになろう。
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狂牛病(BSE)情報1102 ニュージーランドでCJD [平成阿房伝]

3月2日(日)14  TVNZ


      まれな脳症が発見される



 オークランドの患者は不治の脳障害、クロイツフェルトヤコブ病(CJD)と診断された。1990年半ばのイギリスの狂牛病発生を連想させる症状である。

 CJDは脳の中に間違ってたたまれたプリオンというタンパク質が脳組織に小さな穴を作る。顕微鏡で見るとスポンジと似ているのである。

 患者は急激な健忘症となり、認知異常、幻覚をみたり、そして性格が変わる。CJDのある型では自然に発生する。一方他のCJDは感染した肉を通じて広がる。

  オークランド地区保健委員会の担当者は、先月自然に発生したCJDであることを確認したという。

同じような症状と病名であるが、この型はイギリスで160人以上が死亡した変異型CJD(vCJD)ではない。
 狂牛病とも呼ばれる牛海綿状脳症に感染した製品を食べてvCJDにかかる。

 Otago大学のCJDの責任者である準教授Martin Pollockは自然に起こるCJDにかかったたいていの人は2ヶ月以内に死亡すると言う。

 「それは突然だ。何故罹ったのか誰にも分からない。家族は悲嘆にくれる。例えばあるとき婆さんがレストランへいくのを見かけた。だが次の週には行くことができなくなった」

この型(sporadic)はうつらないと言う。

毎年ニュージーランドでは、5人ぐらいがこのCJD(sporadic CJD)で亡くなっている。vCJDで死んだ人は一人もいない、ニュージーランドでは。

 世界的にもCJDの85パーセントが自然発生型とみられる。

 認知症によく似た症状なのでこの病気の診断が課題であると言う。死んでからしか、決定的な診断ができないとも言う。死亡した患者の脳組織のサンプルをオーストラリアに送って検査した後でないと・・・。

ひとこと:ニュージーランドではヒトの狂牛病はないという。しかし、狂牛病と関連する羊の狂牛病であるスクレイピーは発生しているはずである。
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石のつぶやき766 生活と生命の乖離、怒りを原動力に [平成阿房伝]

(インタビュー)「平和と繁栄」の後で シカゴ大名誉教授ノーマ・フィールドさん
3月1日(土)14 朝日新聞朝刊



「どん底まで突き落とされたら、かえって開き直れるのかなとも思います」
明日生きるために
      10年先の命顧みぬ
      逃げ場のない時代



 日本社会はどこへ行こうとしているのか。日米双方の心と言葉で語り続ける研究者は、胸を痛めていた。戦後の繁栄が過去のものとなり、さらに平和すら手放そうとしているのでは……。第2次大戦直後の東京で生まれ、米シカゴで暮らすノーマ・フィールドさんの目に映る日本の風景を、そっとのぞいた。

--二つの国の間で「宙づりになっている」と、著書「天皇の逝く国で」に書かれていますが、その日米両国の今をどう見ていますか。
 「米国生活が長くなりましたが、この国の政治のひどさが身に染みるようになりました。オバマ大統領に期待しただけ余計にそう感じます。日本も、米国流の格差社会に追いつけ、追い越せといわんばかりですね。日本社会がかろうじて残してきたものが壊されていると思うと、いたたまれません」

 --居場所がなくなるという感覚でしょうか。
 「いえ、そんなことはありません。同僚の大学教員たちは、ひどい政治家が大統領になったら米国を脱出するよ、などと言いますが、大学のあるシカゴののサウスサイドに住む貧困層の人たちは、国が嫌になったら国外に出る、なんてことはできない。逃げたくても逃げられない人たちがいるのです。余裕があるから『国を捨てる』などと言える。運命を共にするというと大げさですが、軽口はたたかないと決めました」
 「一方、日本は何年たっても『帰る』という感覚なんです。大切な人がたくさんいるから。でも、このままいくと、いずれ帰れなくなるという恐れも感じます。私は父親が米国人、母親が日本人の日本生まれで、国籍条項では米国籍しか得られなかった。今の状況が続くと、最悪の場合はビザがおりなくなることもあるように思えて

 --日本での原点は何ですか。
 「団塊の世代の66歳ですから、私の原体験は質素な日本なのですが、そこには戦争が終わった解放感が確かにありました。『めだかの学校』に歌われてるような、誰が生徒か先生か分からない、そんな空気です。空襲で防空壕(ごう)に逃げなくてもよくなったという喜びは、たびたび母に聞かされました。あの感覚が日本では次第に薄れているのを感じます

 --確かに、戦後的なものが急速に崩れてきています。
 「知人によると、日本のある小学校での講演で『平和』という言葉を使わないように言われたそうです。プロレタリア文学を研究していると戦前の伏せ字を扱いますが、戦前、戦中に平和は『××』とされたことが多かった。いまや、戦後と地続きではなくなったというか、敗戦直後に日本人が真剣に議論したことがゼロになりつつあるように思います。安倍首相も靖国参拝を強行しました。米国従属から一歩踏み出ようとしているのでしょうか。米国を中心とした考え方が良いとは思いませんが、大国の制止も気にしないような空気が漂いつつある。それは非常に怖いですね
 「いわゆる『普通の国』イコール戦争ができる国というなのでしょう。戦争になって最初に犠牲になるのは、若くて生活に困っている層だということは米国の歴史が証明しています。東京都知事選の結果からは、そんな若い人たちも『強い国』を主張する田母神俊雄さんに投票したように見えます。最初に戦場に出る若者が右傾化を支持する。それは、近代史の忌まわしいパターンの一つだと思います」
 --今の若者は「戦争を知らない子どもたち」ではなく、「戦後を知らない子どもたち」ですね。


 「戦後を知らないし、バブルの頃すら知らない世代です。自分たちに戦後民主主義と繁栄の恩恵がもたらされているとは感じられないのだと思います。細川護煕さんは都知事立候補の会見で『腹七分目の豊かさでよしとする成熟社会を』と語りました。就職できない若い人たちはこれをどう感じるだろうか、と日本の知人が心配していました。細川さんの考えが間違っているとは思いません。でもその言葉が届かない」
「2000年に発行した『祖母のくに』の中の論考で『繁栄感覚が希薄になったとき、その代わりに何が出てくるのか』と書きました。それがいよいよ現実となってきたのを感じます。まず繁栄がなくなり、そして平和すら犠牲にしようとする流れになっている8月15日に『平和と繁栄』とだけ唱え続けてきた欺瞞(ぎまん)はずっと気になっていましたが、今聞くと懐かしくすらあります

 --経済の衰退が人々の意識を変えていく、ということですか。
 「経済的に一番弱い立場に置かれる人は、自分の生命さえ犠牲にしないといけないようになります。私は『生活と生命の乖離(かいり)』と呼んでいますが、明日の生活のために5年先、10年先の命を顧みられなくなる。マイケル・ムーア監督の映画『シッコ』で、トニー・ベンという英国労働党の政治家がこう語っています。人が押しつぶされそうになっている状態というのは、支配層にとって、とても都合がいい、と。『戦争ができる国』にしようとしている政治家を若い世代が支持するのは、まさに生活と生命の乖離だと思います

 --「生活と生命の乖離」の例は、ほかにもありそうですね。
 「ええ、これは格差にあえぐ若い世代に限りません。広い意味では原発を誘致した地域や原発作業員にも当てはまる。生活のために自分の存在自体を懸けなければいけない構図はいたるところにあります。細川さんの文明論は、明日がどうなるか分からない人には、抽象的でぜいたくなものに聞こえたかもしれませんが、この乖離を乗り越えようと言っていたようにも思えます」
 「原発に反対しようとするなら、反対できない人々のことを考えなければいけないと思います。選択肢がない人は情報すら欲しくなくなる傾向があります。さらに心配の種になるからです。そういう意味では今後、現実を伝える言葉すらタブー視されるのではないでしょうか」

 --戦後の繁栄と平和を知らない世代に届く言葉を、どう紡ぎ出せばいいでしょうか。


 「都知事選では、宇都宮健児さんも若者の支持率が高かった。田母神さんと宇都宮さんの若い支持層は逆の方向を向いているように見えるけれど、実は同じ層から来ているのではないでしょうか。希望を託す先が違うだけで。この双方の若者層に、時代のしわ寄せをすべて負わされている『我々』という意識が生まれたら、可能性があるとも思います」
 小林多喜二は、『中央公論』で『党生活者』という作品を書いています。舞台は満州事変後で、軍事産業の景気が良くなり、工場がガスマスク製造を始めるために臨時工を雇います。戦争のために臨時工が職にありつき、一生懸命働いたら正社員になれるかも、と考えて働きます。そこで、運動家たちが臨時工と普通工の共闘を仕掛けようとするのです。劣悪な労働条件を改善すると同時に、臨時工の雇用をもたらす戦争にも反対しようとする。戦争が始まった状況で、それでもこんなことを目指していたのがすごい」
 「08年の『蟹工船』ブームの際には、物語を現代にあてはめても、非正規労働者と正社員は一緒に闘えないだろうと繰り返し指摘された。そこをどう橋渡しをするか。多喜二の作品でも結局は失敗しますが、その失敗を丁寧に描いている。だから次があると感じられます


         実感できない希望
         怒りを原動力に
         主体的に作り出せ


 --どこに希望を見ますか。
 「私は『希望派』ではないんです。自分が実感できない希望を、自分が信じていないものを、人に伝えることはできません。一方で、希望と聞くと、先日亡くなったフォーク歌手のピート・シーガーを連想します。シーガーは、決して諦めない人でした。どんな場で音楽を奏でても、聴衆との関係を作り上げ、全員を参加させる。体を使って模索する行為自体が希望だという気がします。結果よりプロセスを重視するということでしょうか
 
 --希望は見えにくいけれど、諦めない、と。
 「井上ひさしさんは多喜二を描いた戯曲『組曲虐殺』で『絶望するには、いい人が多すぎる、希望を持つには、悪いやつが多すぎる』というセリフを主人公に託しています。いとおしく思う人や譲れない理念があるからこそ、愛情と共に怒りが生まれる。私にとって怒りは原動力です。これほど人間を馬鹿にした政治を押し通すなんて、放っておけるものか、と考えています。希望とは、外にあって元気づけられるものではなく、主体的に作り上げるものではないですか」
 
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石のつぶやき765 たがが外れてしまった、安倍とNHK [平成阿房伝]

2月25日(火)14 The Huffington Post


籾井勝人NHK会長、全理事に辞表提出させる


 NHKの籾井勝人(もみい・かつと)会長が1月25日の就任初日、10人の理事全員に辞表を提出させていたことが2月25日に判明したこの日午前の衆院総務委員会に参考人として招かれたNHK理事10人が提出を認めた。民主党の福田昭夫氏の質問に対する答弁で、各理事は「日付は空欄のまま署名、押印して提出した」などと述べた。朝日新聞デジタルが報じた。

日付を空欄とし、署名、捺印(なついん)した辞表を提出しました」「私も提出しました」「私も……」

衆院総務委で福田昭夫氏(民主)の質問に理事10人が辞表提出を認めた。籾井氏は当初、人事案件を理由に答えなかったが、理事の答弁後は「各理事は事実をそのまま述べた。それはそれでけっこう。私がどう思うかは別問題」と述べた

(朝日新聞デジタル『NHK理事10人全員「辞表出した」 国会で次々答弁』2014/02/25 11:16)
任期満了前でも理事をいつでも罷免できるようにすることで、会長の人事権を強める狙いがあるとみられる。

ふたこと:「たががゆるむ」ことは過去にも何度もあった。しかし「たがが外れる」ことはなかった。後生大事にしなければならない「もろみ」が突然、こぼれ出したのである。取り返しのつかない事態である。もう大事な麹は死に絶えていく。先達が70年間手塩にかけて醸成してきたものを、突如としてかなぐり捨てた、安倍晋三とその一派。NHKの人事とはこういう生臭いものであったのかをつくづく感じさせる。その集大成がこの辞表提出であろう。それも一月前のことである。それが何も報道されていないことに、「麹は完全に死んだ」記憶だけが残る。
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