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石のつぶやき764 三菱東京UFj 休眠口座猫ばば [平成阿房伝]

2月24日(月)14   朝日新聞夕刊


休眠口座情報2万1400件を紛失 三菱東京UFJ銀行


 三菱東京UFJ銀行は24日、10年以上お金の出し入れがない「休眠口座」となっている顧客の情報を紛失した、と発表した。紛失したのは、顧客名や口座番号、残高などが書かれた約2万1400件分の資料。他の資料とともに行内で誤って廃棄した可能性が高い。現時点で、不正利用の報告はないという。

 行内で資料の保管状況を点検した際に、紛失がわかった。顧客からの払い戻し請求には、通常の預金と同様、預金通帳などを提示すれば応じる。同行は「資料の保管管理を強化し、再発防止に努める」としている。

 休眠口座は通常の預金口座とは別に管理しており、同行だけで約2700万件ある。業界全体では年850億円分が新たに発生する一方、年350億円分が払い戻されている。政府・与党からは福祉やベンチャー支援などに活用すべきだとの意見が出ている。
 同行は、この問題に関する専用窓口を設けた。問い合わせはフリーダイヤル(0120・950・799)。24日は午後9時まで、25日から28日は午前9時から午後9時まで、3月1日以降は午前9時から午後6時まで。


ふたこと:誤廃棄などということはない、強い意図がうかがえる。消しただけの話である。他の銀行や金融機関はどうなっているのか、精査されなければならない。このように民の財産は金融機関にとっては、まさしく不労所得となっている。今後このようなことは、増えていく。何らかの法律的配慮は、しなくてはならない。時効になる金もあれば時効のない金もあるだろう。それを踏まえた話だ、一番の問題は認知症であろう。
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石のつぶやき763 竹島は新しい局面に入った?戦争か [平成阿房伝]

2月22日(土)14 共同通信

「竹島の日」式典、9回目を開催 2年連続で政務官派遣


 島根県は22日、溝口善兵衛知事らが出席し松江市で9回目となる「竹島の日」式典を開催した政務官が初出席した昨年に続き、政府が派遣した亀岡偉民内閣府政務官は「竹島は歴史的事実にただしても国際法上もわが国固有の領土だ。政府として、地元の思いを重く受け止めている」とあいさつした。竹島の領有権を主張し、実効支配を続ける韓国は式典の中止を求めていた。

 溝口知事はあいさつで「政府が取り組みを強化し、竹島をめぐる問題は新しい局面に入った」と述べ、安倍政権の姿勢を評価した。式典では、国際司法裁判所に単独提訴し領有権問題の解決を図ることなどを亀岡政務官に要望した。


ふたこと:今までしなかったことをして、相手があって当事者が反発したのなら、挑発したことになる。「竹島の日」は、安倍政権が初めて取り組んだものである。竹島は韓国に実行支配されている。李承晩ラインを黙過してきたことになる。それを日本の固有の領土と言われても納得しまい。なにしろ韓国の大統領も現地に行っているのだから。日本の領土であると主張するのであれば、そうである経緯を説明して韓国を納得させるしかない。そのこともせず、日本を戦争できる国に向かっている。安倍政権の意志である。朝鮮半島を占領し、中国にも覇権の意識を持っている明治以来の日本人の意識を表明したも同然である。これらすべからく安倍の意志を表現している。美しき日本は現人神の、思し召しの姿でしかない。あわれ、あわれ。
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狂牛病(BSE)情報1101 米で病気の牛の肉、4000トンが回収 [平成阿房伝]

2月10日(月)14 Eat Drink Better

  
      約900万ポンドの牛肉がリコール

900万ポンド(4000トン)の牛肉がリコールされている。カリフォルニアのPetalumaにあるRancho Feeding Corporationは、アメリカ農務省食品安全検査部(FSIS)によると、8,742,700ポンドの牛肉を回収している。

 病気の健康でない牛がその工場で加工されたという理由で回収されている。「病気の」という意味は、これらの家畜はあきらかに病気であると聞こえる。「不健康」とは、単に病気の症状が出ていたことを意味する。しかし、病気かもしれないし、かもなかったかもしれない。検査されて病気であることが判明するまで、狂牛病の可能性のある歩けない牛は、不健康と分類される。
牛肉はカリフォルニア、フロリダ、イリノイそしてテキサスの小売りセンターや流通センターに送られていた。FSISはこれらセンターの名を公表していない。この牛肉が食べられているかは分からない(だが誰かは知っている、しかしあなたでもないし、わたしでもない)。

 今までにこの牛肉で病気になったという報告はない。FSISはこの肉製品を食べることによる病気の発生の確率は非常に高いと通告している。

 さらに悪いことに、2013年1月1日から2014年 1月7日に加工された製品である。ちょうど1年にわたって9百万ポンドの肉が製造されていたことになる。たくさんの人がこの肉を食べたようだ。
 リコールの対象となっているRancho Feeding Corporationの製品は以下の通り。

・ 牛枝肉   ・ ヘッド   ・ 牛の血   ・ オックステール   ・ 頬肉   ・ 唇   ・ センマイ   ・ 小腸   ・ 精巣Mountain oysters ・シビレ(膵臓)Sweet Breads ・肝臓   ・胃袋   ・タン ・仔牛カット   ・仔牛骨   ・牛足   ・心臓    

ひとこと:内部告発があったのだろう。ホルモンが大半で、30ポンド詰めか、60ポンドつめである。業務用であろう。このように病気の牛の流通ルートがあるのだ。日本でも病気の家畜の肉が串焼きに調理されている光景は、車谷長吉の小説に出てくる。アメリカではこの種のものは狂牛病危険部位として使用が禁止されている。メキシコ料理とかポルトガル料理でも使われる、内臓は。文化なのである。どこの国でもあるだろう。病気であれば、特に牛は狂牛病になる可能性がかなりの確率で高くなる。
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石のつぶやき762 「浅はかさ」は思考停止である [平成阿房伝]

(インタビュー 今こそ政治を話そう)二分法の世界観 是枝裕和さん
2月15日(土)14   朝日新聞朝刊

人間の複雑さこそ      思考を成熟させ      社会を変えられる

 世界はね、目に見えるものだけでできているんじゃないんだよ――。「そして父になる」でカンヌ国際映画祭審査員賞を受賞するなど世界的評価の高い映画監督・是枝裕和さんが脚本を手がけたテレビドラマのセリフだ。敵か味方か。勝ちか負けか。二分法的世界観が幅を利かせるこの日本社会を是枝さんはどう見ているのか、聞いた。


 --昨年12月に発足した「特定秘密保護法案に反対する映画人の会」に賛同されていましたね。
 「ひとりの社会人として、責任がありますから

 --政治的な「色」がつくという懸念はなかったですか。
 「そんな変な価値観がまかり通っているのは日本だけです。僕が映画を撮ったりテレビに関わったりしているのは、多様な価値観を持った人たちが互いに尊重し合いながら共生していける、豊かで成熟した社会をつくりたいからです。だから国家や国家主義者たちが私たちの多様性を抑圧しようとせり出してきた時には反対の声を上げる。当然です。これはイデオロギーではありません」

 --ならば、日本政治や社会を告発するようなドキュメンタリーを撮ろうとは考えませんか。世界的に名高い是枝さんの手になれば、社会の空気を変えられるかもしれません。 「たとえば『華氏911』えマイケル・ムーアが表明したブッシュ政権への怒りの切実さが、多くの人の心を揺さぶったのは間違いない。だけど豊かなドキュメンタリーというのは本来、見た人間の思考を成熟させていくものです。告発型のドキュメンタリーを見ると確かに溜飲が下がるし、怒りを喚起できるし、それによって社会の風向きを変えることもあるかもしれない。でもそのこと自体を目的にしたら、本質からずれていく気がします」 「あるイベントで詩人の谷川俊太郎さんとご一緒したのですが、『詩は自己表現ではない』と明確におっしゃっていました。詩とは、自分の内側にあるものを表現するのではなく、世界の側にある、世界の豊かさや人間の複雑さに出会った驚きを詩として記述するのだと。ああ、映像も一緒だなと。撮ること自体が発見であり、出会いです詩やメッセージというものがもしあるのだとしたら、それは作り手の内部にではなく世界の側にある。それと出会う手段がドキュメンタリーです。ドキュメンタリーは、社会変革の前に自己変革があるべきで、どんなに崇高な志に支えられていたとしても、撮る前から結論が存在するものはドキュメンタリーではありません

 --じゃ何ですか。
 「プロパガンダです。水俣病を撮り続け、海外でも高く評価された土本典昭さんは『不知火海』という作品で、補償金をもらって陸に上がった猟師が、品のない家を建てて金ぴかの調度品で部屋を飾っている様子も撮っています。そのような、水俣病を告発するというプロパガンダからはみ出した部分こそがドキュメンタリーの神髄です。人間の豊かさや複雑さに届いている表現だからこそ、人の思考を深め、結果的に社会を変えられるのだと思います
 「安倍政権を直接的に批判するドキュメンタリーもあっていい。だけどもっと根本的に、安倍政権を支持している私たちの根っこにある、この浅はかさとはいったい何なのか、長い目で見て、この日本社会や日本人を成熟させていくには何が必要なのかを考えなくてはいけません

祭りを楽しめぬ人      想像してこそ      権力持つ資格ある
 --この浅はかさ。何でしょう。
 「昔、貴乃花が右ひざをけがして、ボロボロになりながらも武蔵丸との優勝決定戦に勝ち、当時の小泉純一郎首相が『痛みに耐えてよく頑張った。感動した!』と日本中が盛り上がったことがありましたよね。僕はあの時、この政治家嫌いだな、と思ったんです。なぜ武蔵丸に触れないのか、『2人とも頑張った』くらい言ってもいいんじゃないかと。外国出身力士の武蔵丸にとって、けがを押して土俵に上がったヒーローの貴乃花と戦うのは大変だったはずです。武蔵丸や彼を応援している人はどんな気持ちだったのか。そこに目を配れるか否かは、政治家として非常に大事なところです。しかし現在の日本政治はそういう度量を完全に失っています」
 例えば得票率6割で当選した政治家は本来、自分に投票しなかった4割の人に思いをはせ、彼らも納得する形で政治を動かしていかなければならないはずです。そういう非常に難しいことにあたるからこそ権力が与えられ、高い歳費が払われているわけでしょ?それがいつからか選挙に勝った人間がやりたいようにやるのが政治だ、となっている。政治の捉え方自体が間違っています。民主主義は多数決とは違います
 「政治家の『本音』がもてはやされ、たとえそれを不快に思う人がいてもひるまず、妥協せずに言い続ける政治家が人気を得る。いつから政治家はこんな楽な商売になってしまったのでしょう。『表現の自由』はあなたがたが享受するものではなくて、あなたが私たちに保障するものですそのためにはあなたの自己表出には節度が求められるはずです

 --しかし政治に限らず、「勝たなきゃ終わり」という価値観が世間では幅をきかせています。
 「世の中には意味のない勝ちもあれば価値のある負けもある。もちろん価値のある勝ちが誰だっていい。でもこの二つしかないのなら、僕は価値のある負けを選びます。そういう人間もいることを示すのが僕の役割です。武蔵丸を応援している人間も、祭りを楽しめない人間もいる。『4割』に対する想像力を涵養(かんよう)するのが、映画や小説じゃないかな。僕はそう思って仕事をしています」
 「ただ、同調圧力の強い日本では、自分の頭でものを考えるという訓練が積まれていないような気がするんですよね。自分なりの解釈を加えることに対する不安がとても強いので、批評の機能が弱ってしまっている、。その結果が映画だと『泣けた!』『星四つ』。こんな楽なリアクションはありません。何かと向き合い、それについて言葉をつむぐ訓練が欠けています。これは映画に限った話ではなく、政治などあらゆる分野でそうなっていると思います」


 「昨年公開した『そして父になる』の上映会では、観客から『ラストで彼らはどういう選択をしたのですか?』という質問が多く出ます。はっきりと言葉で説明せずにラストシーンを描いているから、みんなもやもやしているんですね。表では描かれていない部分を自分で想像し、あの家族たちのこれからを考えるよりも、監督と『答え合わせ』してすっきりしたいんでしょう。よしあしは別にして、海外ではない反応です。同じく日本の記者や批評家はよく『この映画に込めたメッセージはなんですか』と聞きますが、これも海外ではほとんどありません」
 --そうなんですか。
 「聞かれないどころか、ロシア人の記者に『君は気づいていないかもしれないが、君は遺(のこ)された人々、棄(す)てられた人々を描いている。それが君の本質だ』って言われたことがあります。で、確かにそうだった。ずっと『棄民』の話を撮りたいと思っていたから。すばらしいでしょ。翻って日本では多数派の意見がなんとなく正解とみなされるし、星の数が多い方が見る価値の高い映画ということになってしまう。『浅はかさ』の原因はひとつではありません。それぞれの立場の人が自分の頭で考え、行動していくことで、少しずつ『深く』していくしかありません」


 --「棄民」を撮るんですか。
 「ブラジルの日系移民の話をいつか劇映画でやりたいと思っています。彼らは国に棄てられた『棄民』ですが、第2次世界大戦が始まるとむしろ日本人として純化していく。情報遮断状態におかれた移民たちは日本の敗戦を知らず、うわさを聞いても信じない。そして負けたと主張する仲間を『非国民だ』と殺してしまう。似ていませんか?今の日本に。国に棄てられた被害者が加害の側に回る、そこに何があったのかを描いてみたいんです」 「精神科医の野田正彰さんは、加害の歴史も含めて文化だから、次世代にちゃんと受け渡していかなければならないと指摘しています。その通りです。どんな国の歴史にも暗部はある。いま生きている人間は、それを引き受けないといけません。だけど多くの人は引き受けずに、忘れる。東京電力福島第一原発事故もそうでしょう。『アンダーコントロール』だ、東京五輪だって浮かれ始めている。どうかしていますよ」
 いまの日本の問題は、みんなが被害者意識から出発しているということじゃないですか。映画監督の大島渚はかつて、木下恵介監督の『二十四の瞳』を徹底的に批判しました。木下を尊敬するがゆえに、被害者意識を核にして作られた映画と、それに涙する『善良』な日本人を嫌悪したのです。戦争は島の外からやってくるのか?違うだろうと。戦争は自分たちの内側から起こるという自覚を喚起するためにも、被害者感情に寄りかからない、日本の歴史の中にある加害性を撮りたい。みんな忘れていくから。誰かがやらなくてはいけないと思っています」
                       (聞き手 論説委員・高橋純子)
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狂牛病(BSE)情報1100 米で18人が、手術器具でCJD感染!? [平成阿房伝]

2月10日(月)14     abc11


病院当局 CJDになる可能性で陳謝

WINSTON-SALEM--ウインストン・サーレムの病院は月曜日、消毒の不手際で20人近くの患者がまれな神経疾患に曝されたことについて謝罪した。

 Novant Health Forsyth Medical Center のJeff Lindsay院長は記者会見で、18人がクロイツフェルトヤコブ病になる可能性について報告した。脳神経外科手術が1月18日に一人の患者に行われた。その患者が後に致命的な退行性脳疾患であることが判明。

 他の18人(全て脳神経外科の患者である)は、クロイツフェルトヤコブ病(CJD)の患者に使われた手術器具は特に念入りな消毒の手続が必要であるが、通常の消毒方法であったため、感染する可能性がある。  
Novantの臨床開発担当のJim Lederer 副院長は、手術した患者は自然に発生するCJDの疑いがあって、その後確認されたと言う。CJDは狂牛病に関連づけられるが、この原因が狂牛ではないことを強調した。
 CJDを治す方法はない、死に至る。何十年も症状があらわれない場合があり、時間がかかる。

 「その人達がかかる危険性は非常に小さいと認識している」Lindsayは言う。「しかしながら、こんなことはあってはならない」とも。


ふたこと:手術器具の消毒は、全て後の祭りである。脳外科の手術ではCJDの患者が含まれる確率は高い。CJDの患者に使用した器具は破棄しなければならない。強化した消毒方法が有効であるかの検証はない。何しろ相手はプリオンであるからだ。煮ても焼いても残るのだ。手術器具も問題だが、最悪の懸念は輸血での感染だ。イギリスでは狂牛病(vCJD)の潜在患者が2000人に一人と推計され、血液の検査の強化に取り組み始めた。
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石のつぶやき761 竹富町にエールを送る [平成阿房伝]

2月10日(月)14   朝日新聞 夕刊


竹富町に直接要求へ 

文科省 教科書の変更求める


 沖縄県八重山地区で他の2市町と異なる中学公民教科書を使う竹富町に対して、文部科学省が3月上旬にも地方自治法に基づく是正要求を出し、教科書の変更を求める方針を固めた県教育委員会が文科省の指示に応じない場合の措置。実施されれば、国が市町村に直接、是正要求を出す初の事態になる。

 この問題では、文科省が昨年10月、県教委に対して竹富町への是正要求を指示したが、「教育現場に大きな問題は生じていない」などとして、県教委は応じていない。文科省は、県教委が今月12日の会議でも方針を変えない場合、新年度に「違法状態」が続きかねず、直接の措置が必要と判断した。

 竹富町と石垣、与那国両市町の八重山地区では2011年夏、教科書の採択地区協議会が「新しい歴史教科書をつくる会」系の育鵬社版の採択を答申しかし、竹富町は「手順がおかしく、答申に法的拘束力もない」と東京書籍版を独自に採択した。

 文科省は、地区内で同じ本の使用を定めた教科書無償措置法に違反しているとし、教科書の無償給付を実施していない。一方、竹富町は各市町村に採択権限を認めている地方教育行政法を根拠に、独自採択は「合法」と主張。民間からの寄付金を元に、東京書籍版を購入して使っている。

 是正要求を受けた自治体には改善措置の義務があるが、従わなくても罰則がない。また、国の要求に不服があれば、国の第三者機関「国地方係争処理委員会」に審査を申し出られ、審査結果に不服があれば高裁に提訴できる。

 文科省が直接、是正要求したとしても、竹富町が従う可能性は低く、教科書採択をめぐって今後、国と町が法廷で争う事態も想定される。(山下龍一、岡雄一郎)

是正要求
 違法行為や不適正な事務処理がある市町村に対して、国が地方自治法に基づいて、改善を求めるよう都道府県に指示できる。緊急時や特に必要を認める場合は国が直接、市町村に出せる。是正要求の実施例は2件あるが、いずれも都県を通じた措置だった。


ふたこと:権力から離れた、独立した教育委員会を求めたのは、「戦時下の教育」の反省からだった。「知事や市町村長が教育委員長を選任する」という橋下大阪前市長は、安倍がしたいことのお先棒を担いでいる。腰大津市長もその尻馬に乗っている。先の戦争の反省のないまま、また同じ過ちを繰り返そうとしている。「教科書検定」すらあり得ないものを固定化してしまった。教育委員会がまだまだ機能している竹富町にエールを送る。  たぶん安倍は法律を変えるだろう。きょうかしょのへんこうもとめる、と打ったら「教科書の偏向を求める」と変換された。
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石のつぶやき760 庶民の足に50%増税 米の言いなり [平成阿房伝]

2月7日(金)14 共同通信

軽自動車増税法案を決定 自家用新車1万800円

 政府は7日の閣議で、軽自動車税(市町村税)を2015年度分から増税することなどを柱とした地方税法改正案を決定した。購入時に納める自動車取得税(都道府県税)の税率は、4月の消費税増税に合わせ引き下げる。

 軽自動車税の増税は四輪車では新車のみが対象で、自家用乗用車は現在の年7200円から1万800円に、自家用貨物車は4千円から5千円にそれぞれ上がる。
 原動機付き自転車(ミニバイク)やオートバイの軽自動車税は新車、既存車を問わず1・5~2倍に上がる。排気量50cc以下は千円から2千円となる。
 自動車取得税の税率は、自家用で現在の5%から3%に下がる。


ふたこと:アメリカに指摘されていた軽自動車税優遇、交渉もせず「自主規制」する安倍政権。アメリカの言いなりとされないように、丁寧にもミニバイクまで税を倍にした。貧乏人だけが負担増である。
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石のつぶやき759 難民申請2545人に認定18人、「お・も・て・な・し」の国 [平成阿房伝]

1月19日(日)14  朝日新聞


(日曜に想う)国追われ、海を渡った味の切なさ 論説主幹・大野博人


 その料理本はこんな言葉で始まる。
 「故郷エチオピアにいる母から、時々、母のドレスを送ってもらっています。『洗わずに送って』と必ず伝えます。それは、服に残った母の匂いから、母のこと、故郷のことを思い出すことができるから」

 45種の料理をカラー写真とともに紹介している。書名は「海を渡った故郷の味」。レシピを提供したのが日本で暮らす15人の難民だからだ。戦火に追われたり、政治的な迫害を受けたりして日本にたどり着いた人たちだ。NPO難民支援協会(JAR)が昨年、出版した。

 母国には帰りたくとも帰れない。母の「洗わないドレス」を求めるように、記憶をたよりに、日本で必要な食材をさがし、あるいは代わりの材料を工夫して調理してきた。

 エチオピア、スリランカ、クルド・・・・・・。本格的エスニック料理というより、異郷でくじけそうになる心を支えてきた一人ひとりのふるさとの味だ。


 JARの推計によると、昨年1年間に日本で難民としての申請をした人が3千人を超えた。1982年に難民認定制度ができて以来最多。一昨年の2545人に続いて記録を更新した。
 国連難民高等弁務官事務所が昨年出した報告によると、世界で毎日2万3千人が住む場所を追われている。総計は約4500万人。

 シリアや南スーダンの情勢悪化もあり、高い水準で推移している。また欧州諸国が受け入れ制限に傾いていることが日本への増加傾向につながっているのではという指摘もある。

 だが、日本の受け入れレベルは相変わらずきわめて低い。  法務省によると、一昨年に難民として認定したのは18人。申請数に対してわずか0.7%だ。数千人から万を超える認定をしている欧米とは桁違い。認定されなければ、定職も社会保障も得にくく生活は安定しない。 

最近、アフリカの国から逃れて難民申請をした30代に男性は、時刻では反政府グループに近いとみられ、仕事や住所を転々とする日々だったと語る。子どものころ、父親も政治的理由から殺害された。たまたま訪日の機会があり、国に戻らない決意をした。日本は難民認定に厳しいとは聞いた。「でも、帰国したら逮捕されますから」。ノートには学び始めたひらがながていねいに書かれている。

 JARの石井宏明常任理事、「日本でも、難民を管理ではなく保護の対象と考えてほしいのですが」と話す。

 今、日本は「積極的平和主義」を外交の柱としてアピールしている。
 昨年12月、南スーダンにPKO出動している自衛隊から韓国軍に弾薬1万発を供与したときも、政府はこの言葉を使った。

 韓国軍は宿営地に逃げ込んだ現地の人たちを守るためにも弾薬を必要としていた。人道的な緊急措置だ。積極平和主義という方針にも基づく---。

 新年になって、安倍首相のアフリカ訪問で難民支援に1160万ドルを出すと発表した際もこの言葉を添えた。
 難民を助ける他国や国際機関に弾薬やお金を出すことを積極平和主義と呼びながら、危険な場所からはるかな日本に助けを求めに来た人たちに直接手をさしのべるのをためらう。このどこが「積極的」なのだろうか。
 おりしも、昨年日本を訪れた外国人が1千万人を超えたことがニュースになった。喜ぶべきことには違いあるまい。しかし、そのうち最も貧しく最も苦しい3千人に冷たいままで「お・も・て・な・し」の国と胸を張れるのだろうか。

 そんなことを考えながら、「海を渡った・・・」からひとつ作ってみた。
 「鶏肉とジャガイモのスパイス煮込み」。ミャンマーの料理だ。いくつもの香辛料がよくきいてピリッとしていながら、まろやか。
 そして切ない味がした


ふたこと:日本が尊敬される国になれないのは、薄情なのだからだ。「困った人を助ける」、道徳では当たり前にそうしろという。だが困った人(難民)を助けない。人口が減っていき、成長戦略などあり得ないものを政策にしている。難民を受け入れて移民を受け入れてこそ、「成長戦略」なのだ。「日本民族は単一民族」という明治のプロパガンダが脈々と生き続け、その先祖返りの総仕上げを安倍はやろうとしている。
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石のつぶやき758 NHK会長の意向で放送中止 脱原発がテーマ [平成阿房伝]

1月30日(木)14 中北 徹(東洋大学経済学研究科)WEBRONZA



<NHKラジオ ビジネス展望>「原発再稼働のコストと事故リスク」(案)


 NHKの朝のラジオ番組に出演予定だった中北徹・東洋大教授が、30日放送予定だった番組内で脱原発をテーマに取り上げようとしたところ、NHK側にテーマ自体の変更を求められ、放送が中止になった。今後の出演などにはついては現在のところ不明。「都知事選中は原発問題はやめてほしい」と言われたという。

 番組は月~金曜の午前5~8時のラジオ第1放送「ラジオあさいちばん」。中北教授は「ビジネス展望」というコーナーに20年来出演しており、30日朝も「原発の再稼働のコストと事故リスク」をテーマに出演する予定だった。だが、前日に原稿案を見せたところ、ディレクターに「テーマを変えてくれ」と言われたという。
 いったいそれはどのような内容っだったのか。WEBRONZAはその原稿案を紹介する。一連の報道を受け、中北教授に依頼し、提供を受けた。以下がその全文だ。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



<ビジネス展望>

「原発再稼働のコストと事故リスク」(案)


2014.1.30
東洋大学経済学研究科
中北 徹



 Q1.イントロ・・・

 A1.(都知事選で焦点となっているとされ、また、国会の質問でも取り上げられている、原発再稼働の問題について安倍総理も、「議論が行われるのは望ましい。」と述べている。)経済学の観点から、コメントして、いくつか論点に触れて、議論の喚起に供したい。


 最初にポイントを集約する。

 第一は、事前の安全確保の対策、保険料などといった原発稼働のコストが世界的にアップしていること。第二に、万が一の際、巨大事故もたらす損害が膨大化している。最後に、日本の場合、廃炉の費用が発生しているが、それが企業の費用に明示的に計上されていないこと。
 Q2.それぞれ詳しく・・

 A2.まず、稼働コストの上昇が上昇している。2011年の段階で、民主党政権のもと、評価委員会が示した原発の電力コストは、当時、8円/KWH 。それが、最近では、たとえば、「自然エネルギー財団」の資料などを参照すると、11円から17円/KWHということで、2倍前後へ。その他、関連データを参照しても、2~3倍へ

 これは世界的な趨勢であって、保険料、安全確保の事故対策費などが、東日本大震災をきっかけに、リスクへの認識が高まった結果。すると、他の石炭・石油による発電コストは大差なく、小さくなっている可能性

 加えて、日本の場合、原発の廃炉の費用が積み上がってくる。廃炉技術が未開発の段階にあり、十分な試算が行われてない。

 一方で、会計の観点から、廃炉は電力会社の命運を左右する大きな作業で、膨大な費用を伴うものだ。原理的には、事前に必要な費用を前倒しで積み上げる必要がある。しかし、電力会社のバランスシートに計上されていない。過小評価されているわけで、将来国民が負担する、見えない大きな費用になる可能性。
 Q3.ということは・・・

 A3.以上の全体像で、即時脱原発路線を支持するのか、それとも、時間をかけながら、緩やかに原発依存を減らしていくのか、という費用の選択の問題になる。それは国民がどう選択するのか、という政治的な課題だ。
 現状では原発稼働がゼロ。しかし、そうしたなかで、アベノミクスが成果をあげている。株価が一昨年末から大きく戻し、今年は、一部上場の大企業は業績相場を達成すると見込まれている。原発(稼働)ゼロでも、経済成長が実現できることを実証したといえる
もちろん、燃料コストがアップしているのは事実。そのこともあって、日本の経常収支の黒字額が減ってきた。これらの事情を念頭に入れて、脱原発か、それとも、原発稼働を重視して、国民がどう判断するのかが問われている。

 東京都知事選挙をきっかけに、千葉や神奈川などの住民も、どこまで消費者とか、生活基盤の見地に立って、問題意識を高めていけるかが課題だ。

 Q4.では、残るリスクの問題は・・

 A4.最後に強調したいのは、原発事故発生のリスクと、巨大事故が起きた際の損害額との関係。

 大震災のあと、確率的安全評価という観点にたって、原発の安全設計の妥当性を確認するための手続きや基準(PSA)を考える動きが生まれている。つまり、原発事故は起きるとして、その時点で原子力プラント、環境に対する影響を定量的に評価し、一定基準以下であれば、その事故に対しては安全性が確保されていると判断する、評価手続き。

 しかし、テクニカルにはどうであれ、基本的な問題(ポイント)は、事故の発生確率と、その事故がもたらす損害賠償料との両者の掛け算、積がどれだけ大きいかである。

 確かに、PSAモデルによる確率制御によって、発生件数は、もしも、一桁下げることで、安全性は改善されるかもしれない。しかし、一方、損害賠償額は大きく、巨大事故が起きると10兆円にも達すると見込まれる。近隣の土地買収・除染など費用を考えると、その何倍にも達する可能性。

 事故発生の件数が一桁下っても、損害額が巨額なので、(両者の掛け算の積で決まる)やはり想定損害額が桁外れに大きい。そもそも、事故発生の確率が小さくなって、「数千年、数万年に1回の発生確率だ」といっても、それは今日、明日にも発生する可能性がなくなるわけでない。

 すると、リスクである積の値を確実に減らし、ゼロにできるのは、原発を止めることになるだろう。
 以上、経済学の観点から問題提起を試みた。議論の活性化を望む。


ふたこと:これは、籾井NHK会長の指示であった。藤村志保さんはタイミングよく骨折された。早く全快され元気な声を聞きたいものだ。だが、「官兵衛」の再登場はない。
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石のつぶやき757 誰が薪を積むのか 池澤夏樹 「戦争をしたいのか」 [平成阿房伝]

2月4日(火)14 朝日新聞夕刊


(終わりと始まり)誰が薪を積むのか 池澤夏樹



 ■第一次世界大戦の教訓
 先月のこの欄でぼくは尖閣諸島の事態についてこう書いた――

 「係争の地域では武装した艦船や航空機が小競り合いを続け、中央政府の間には意思疎通の回路がない。これは偶発戦争に繫(つな)がる構図である。この時期に識者は、第一次世界大戦が偶発的に起こったことを指摘している。」
 識者というのはたとえば国際政治学者の藤原帰一さん。「あの大戦は、当事者も起こるとは思っていなかった……英国の参戦はドイツには想定外だったし、四年も続く大戦争になるとは誰も考えていなかった」と彼は言う。

 あの時期のヨーロッパ諸国にはさまざまな対立や同盟の緊張関係があった。いわば火が着いたら容易に消せないほどの薪が積んであった。

 一九一四年六月のサラエボの暗殺は火花一つでしかなかったが、着火にはそれで充分だった。「クリスマスまでには終わる」と言われながら戦争は足かけ五年続き、九百万人が死んだ。

 政治とはコントロールの技術である。たとえば経済という巨獣にたづなをつけて国民に利をもたらすように誘導する。

 ちなみに「政治」は西欧語で「ポリティクス」つまり「ポリス(都市国家)の運営」だが、ギリシャ語には「キベルニシス」という言葉もある。政治・行政・統治の意で、直訳すれば「舵(かじ)を取る」。スクリューでもエンジンでもなく舵だ。

 その舵がいつも利くとは限らない。そもそも戦争とは出力過剰の状態であって、舵は利きが悪くなる。第二次世界大戦で言えば、一九四一年の十二月に真珠湾で始まった太平洋戦域の戦いが、翌年六月のミッドウェイ海戦を境に後はずっと負け戦だったのに、日本政府は三年かけても終結に持ち込めなかった。挙げ句の果ての原爆二発。

 それ以前はもっとひどい。中国戦域では一九三一年九月の満州事変以来十四年間に亘(わた)って戦争状態が続いた。出先機関である関東軍が東京の政府の言うことを聞かない。尾が犬を振った。
 先月、ぼくが今の日本と中国の対峙(たいじ)の構図に第一次世界大戦を重ねたのは警告のつもりだった。係争地で偶発な衝突が起きて、中央政府の間に意思疎通の回路がなければ戦線は拡大する。薪に火が着くき、戦闘が戦争になる。そうなっては困ると、と言いたかった。
 そうしたら、一月二十二日、安倍首相はダボスで第一次世界大戦から百年目の今年、領土問題をきっかけに日中間に「偶発的な衝突が起こらないようにすることが重要だと思う」と言った。
 言うまでもないが、ぼくと首相では立場が違う。同じ歴史を踏まえた発言であるが、首相はそういう展開があり得ることを承知で、そうなってもしかたないと明言したのだ。

 別の場で彼は「残念ながら今、(緊張緩和の)ロードマップがあるわけではない」とも言っている。あるわけではないって、あなた、それを作るのがあなたの仕事でしょうが・・・


 今、事態はものすごく危ないことになっている。安倍首相は自分の靖国詣でアメリカ大統領のアーリントン墓地参拝になぞらえ、アメリカは怒った。それは当然、アーリントンに戦争犯罪人は葬られていない。死者を汚すことになると人は誰も感情的になる。それとこれとを一緒にするなと憤る。
 第二次世界大戦で我々は負けた。アメリカに負け、中国に負けた。この事実を踏まえての戦後世界の運営なのだ(今更言うまでもないが「国連」とはあの大戦の「戦勝国連合」であり、中国はその一員である)。この構図を引っ繰り返すにはまた戦争をする覚悟が要る。阿倍さんにはそれがあるのかもしれないが、ぼくには無い。中国との全面戦争なんてまっぴら御免。

 今の段階ではことはパブリシティーの戦いに納まっているが、そこでも日本は負けている。ぼくはそれに荷担するつもりはないから、日本政府・官邸・安倍首相がぼこぼこに負けていると言おうか。

 中国政府が、安倍首相の靖国参りはドイツのヒトラーの墓に詣でるようなものだと言った。もちろん間違い。ドイツ人はヒトラーの墓を造らなかった。今に至るまで徹底してあの男を忌避している。彼の罪について再考の余地はない。

 だからこそ、この重ね合わせは効果的だし、きついのだ。

 それを承知の上でまだ安倍首相が同じような発言と行動を繰り返すとすれば、彼は本当にどんどん薪を積んでこの国を戦争に引き込むつもりだと思わざるを得ない。
ぼくの友だちが言った――「ここで戦争をしなければならないほど日本の経済は逼迫(ひっぱく)してるのかな」
 まさか、でも、しかし・・・そういう種類のバブリーな経済を信奉するのがあの首相だとすると・・・そこに原発再稼働を重ねると・・・


ふたこと:わたしは安倍の一連の動きはもう戦争だということを宣言していると思っている。中韓には丁寧な説明をすると言いながら、後足で砂をかけている。中韓以外の国々を巡り、包囲網を築いている。これはさかしい自己中心の妄想である。日本国民におのれの成し遂げたい幻想に連れて行こうとしている。これは選挙の時にはっきりしていた。わたくしたちは、あの悲惨な経験をしながら認知症になったのでしょうか?呆けた!
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